民主党の前身は正道党。2007年の総選挙を前に民主党に改名された。現党首はメフメト・アアル。
正道党はかつての民主党(Demokrat Parti)と公正党(Adalet Partisi)の流れを汲んでいる政党。1983年にアフメト・ヌスレト・トゥナを党首として結成されたが、1ヵ月後にはユルドゥルム・アヴジュが党首を務めるようになった。さらに1985年の党集会でヒュサーメッティン・ジンドルクが党首に選ばれたものの、スレイマン・デミレルの政治活動が1987年に解禁となると、ジンドルクは辞任し党首の座はデミレルに譲られた。デミレルは1993年まで6年間もの間正道党党首を務めることとなる。
1987年の総選挙で正道党は19,1%、1991年には27%の投票率を獲得、第一党となった。しかし単独で政権を握るほど国会議員を出せなかったため、エルダル・イニョニュ率いる社会民主人民主義党と連立政権を組織、スレイマン・デミレルが首相に就任した。
1993年4月17日に当時の大統領トゥルグト・オザルが死去すると5月16日にデミレルは首相から大統領へと選出され、内閣は正式に解散するまでメフメト・ギョルハンに委託された。この間、正道党の党首選に当時の教育相大臣のキョクサル・トプタン、内務省大臣のイスメト・セズギン、経済担当長官のタンス・チルレルの3人が立候補した。第一回投票でタンス・チルレルの獲得票は他の2者よりも高かったためトプタンとセズギンは立候補を取り下げた。6月13日にチルレルは正道党党首となり、翌日大統領デミレルから内閣組織を任命された。
1995年の総選挙では正道党は福祉党、祖国党に続いて第3党となったものの、1996年3月6日に祖国党との連立政権が発足した。しかし約3ヵ月後には福祉党が提案した信任投票によって内閣は解散することになり、結局福祉党・正道党の連立政権がこれに代わることになる。翌年2月28日に「政教分離が脅かされている」ことを理由に、軍隊がこの連立政権を警告したため内閣は再び解散した。この後、祖国党・民主左派党・民主トルコ党による連立政権が発足したが、正道党はこの内閣を外から支援する形をとった。
1999年の総選挙で正道党は12%の票を獲得、国会議員を出すことができたが2002年の選挙では国会入りの条件である10%を獲得できなかった。この責任を追ってチルレルは党首を辞任、代わってメフメト・アアルが正道党党首に就任した。
2007年5月5日に長年のライバルであった祖国党と合併し、民主党という新党を結成することについて、メフメト・アアルと祖国党党首エルカン・ムンジュの間でいったん合意に達した。しかし元祖国党党首のメスト・ユルマズの民主党への参加や新党の方針をめぐって対立が起こり、結局この合併は実現しなかった。祖国党は総選挙への不参加を決定したが、正道党は民主党と改名し、2007年7月22日の総選挙の準備を進めている。