東部アナトリア地方

東部アナトリア地方(Dogu Anadolu Bolgesi)

トルコのシベリアとも言っていい地方。都市の標高も高いため、夏は涼しく冬は気温がマイナス30度まで下がる町もある。
東部アナトリア地方は南東部アナトリア地方と同様テロの問題で知られており、エルズルム郊外のスキーリゾート・パランドケン以外にこれといって観光地化されている都市はない。しかし以前のアルメニアの首都であったアニ遺跡や、イスハクパシャ宮殿とトルコの最高峰アララト山(トルコ名アウル山)で有名なドウ・ベヤズィット、トルコ最大の湖であるワン湖など、東部ならではの見どころも点在している。東部最大の都市・エルズルムにはセルジューク朝時代のモスクやイスラーム修道院などが残っている。
個人で旅行する際にはそれなりの注意が必要だが、常識をふまえて行動すれば楽しい旅になるに違いない。ただし、イラン・イラク国境のハッキャリなどの町は現在行かないほうがよい。

ワン城
ワン城
東部アナトリア地方の歴史
厳しい気候のため、紀元前2000年までこの地方での定住はほとんど起こらなかった。東部アナトリアでの最初の王国はウラルトゥ王国(紀元前約1000年―585年)で、別名「アララト山の王国」としても歴史文献に登場する。その後ローマ帝国、ビザンツ帝国とアルメニア人にこの地の支配は受け継がれた。
11世紀にビザンツ帝国がセルジューク朝にマラズギルトで敗北すると、数々の戦いと不安定な時代が始まった。セルジューク朝と当時の新興勢力であったグルジア王国の領土争いの舞台となり、13世紀にはモンゴル軍の侵攻を受けるなどした。その後ティムールにより打撃を受けるが、16世紀初頭にはついにオスマン帝国に統合された。
エルズルムのチフテミナーレリ・ジャーミィ
エルズルムのチフテミナーレリ・ジャーミィ
19世紀にオスマン帝国の衰退が始まると、領土拡大を目指していたロシア帝国はたびたび東部アナトリア地方に侵攻するようになった。1914年までにはこの地方の一部はロシアの支配下に入るが、1917年にボルシェヴィキの革命が起こると、ロシアのコーカサス戦線は崩壊した。1915年から1921年にかけてトルコの東部は継続的にトルコ国民軍・アルメニア軍・白ロシア間の戦争の舞台となり、1923年には東部アナトリアの人口は約90パーセント減ってしまった。現在もトルコとアルメニアで問題となっているアルメニア人虐殺も、この期間に起こったといわれている。
今日のトルコとアルメニア・グルジア間の国境は1921年にアタテュルクと旧ソ連によって結ばれた条約によるもので、歴史的分割を反映するものではない。実際、1945年にスターリンはカルスとアルダハンをロシアに返還するよう要求している。

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