レトオンはリキア文明の宗教中心地であり、古代ギリシャの神々であるレトや彼女の双生児であるアポロとアルテミスに捧げられた神殿がある。レトオンはクサントスに近く、またリキア時代にはレトオンはクサントスによって管轄されていた。現在どちらもユネスコの世界遺産に登録されている。
レトオンの多くの遺跡は大きな水溜りのなかに立っていて、周辺にはカエルなどが生息している。
レトオンにまつわるギリシャ神話
ラテン詩人オヴィットによると、ゼウスとの間に双子(アポロとアルテミス)をはらんだレトは、嫉妬深いゼウスの妻ヘラに追われ、双子を産むためにリキアの地をさまよっていた。のどが渇いたレトは泉を見つけるが、ある牛飼いの男に追い払われる。レトは狼によってクサントス川のほとりへと導かれ、やっとのどの渇きは潤された。ギリシャ語で狼は(lykos)であり、この地の名リキアはここから派生したとも言われている。レトはアポロとアルテミスを無事に産んだ後、牛飼いの男をカエルに変えて罰したという。
レトオンの歴史
レトオンは多神教崇拝の中心地であり、都市となったことはなかった。クサントスの管轄下にあり、リキア同盟の宗教行事や祭りなどが行われていた。5世紀にアラブ軍の侵攻を受けるまで、多神教崇拝の中心地であったが、次第にクサントス川から流れてきた土砂が積もり、7世紀には廃墟となった。
レトオンからの出土品の中にはアルカイック時代(紀元前7世紀から5世紀)にさかのぼるものもあり、レト崇拝の前にエニ・マハナニ母神が崇拝されていた(紀元前6世紀)と考えられている。
ローマ帝国時代には、ハドリアヌス帝が皇帝崇拝の信仰を設立した。キリスト教が5世紀に広まると、昔の神殿の石材を使って教会が建てられた。
レトオンで発見された文献によると、定期的な宗教儀式ではいけにえも捧げられており、これに反対する者はレトの前で有罪となった。レト崇拝は古代アナトリアから発祥し世界に広まった母神崇拝の一例である。女性が毎年秋にレトオンで行われた集会の議長を務めることができたのも、この母神崇拝からきた女性への敬意の結果と考えられる。
聖域は昔大きな柱廊玄関で囲まれていて、巡礼者はここで休むことができた。3つの神殿は典型的なリキア建築で、土台に建てられた。当時この3つの神殿はその壮大さで見るものを圧倒していたと思われる。古代ギリシャ時代に建てられた神殿のうち、アルテミス神殿とアポロ神殿は焼失したが、レト神殿の8割は残っている。
レト神殿は紀元前5世紀に建てられたと考えられている。この神殿は上質なライムストーンでできていて、大理石に似た外見をかもし出している。コリント式の上品な円柱のある儀式場はイオニア式のポルチコに囲まれている。優れたレリーフや規模の面から、この神殿はトルコにあるギリシャ建築のなかでも例外的作品である。
レト神殿の東には紀元前4世紀のアポロ神殿がある。ほかの2つの神殿がイオニア式であるのに対し、アポロ神殿はドリス式。床にはアポロのシンボルである弓矢と竪琴を描いた美しいモザイク画あったが、オリジナルは現在フェティエ博物館に展示されており、遺跡には復元されたモザイクがある。レト神殿とアポロ神殿の間には紀元前に建てられた4世紀小さいアルテミス神殿がある。
6世紀に建てられたビザンツ教会は、7世紀にアラブ軍の侵攻の際破壊された。ここでも幾何学デザインや動物が描かれたモザイク画が床に施されている。当時ここでは修道士のグループがいたと考えられているが、同時に杯なども発見されており、修道士もたまに一杯やっていたようである。
レトオンの古代劇場はヘレニズム時代の劇場のなかでも最も美しいといわれている。紀元前2世紀に建てられた劇場は保存状態もよく、宗教行事に使用されていた。劇場の南側入場門には16のマスクのレリーフがある。