ミレトス (Miletus)

古代のラトモス湾にかつて突き出していた岬に建設された港都市・ミレトスの歴史は同じイオニア都市であったプリエネよりもずっと古く、勢力を誇っていた。現在はブユック・メンデレス川の湿地となり、その遺跡は昔の栄光が感じられないほど廃墟と化し、物寂しい雰囲気が漂う。プリエネの都市を設計したミレトス出身の建築家、ヒッポダムスも故郷の都市計画を担ったが、ローマ時代に一掃されてしまった。遺跡全体の保存状態もあまり良くない。
ミレトスへはソケからディディム・アルトゥンクム行きのドルムシュが通る。遺跡付近での食事は高いが、6キロ離れたアクキョイという村でレストランなどがある。

ミレトスの歴史
ミレトスでの発掘作業は1890年代に初めてドイツ人考古学者により着手された。その結果紀元前16世紀のクレタ・ミケーネ文明の住居跡が発見されており、ミレトスの歴史は少なくともエフェソスほど古いことがわかっている。紀元前11世紀にはイオニア人の定住が始まり、紀元前7世紀から紀元前5世紀の間ミレトスは最盛期を楽しんだ。この間、西アナトリアで勢力を振るっていたリディアの侵入を撃退し、華やかな文化の中心地となった。数学者タレスやソクラテスの友人でもあった高級娼婦・アスパシアもミレトスの出身である。
ミレトスは東方の脅威・ペルシア帝国の勢力を完全に避けられるほど強力ではなかったものの、ペルシアとは良い関係を保っていた。またディディマ(ディディム)のアポロン神殿の神託所をも事実上所有し、各地に植民地を建設するなど繁栄した。しかしアテナイにそそのかされ、紀元前500年から494年に起こったイオニア反乱の指揮を執ると、都市の運命は変わった。反乱はペルシア軍に鎮圧され失敗に終わり、ダレイオス1世は首謀者を含めイオニア人を殺戮し、都市を略奪した。その後ミレトスは北西に離れたところで再建されたものの、かつての栄光を取り戻すことはなく、また独立を失うこととなった。アレキサンダー大王によりミレトスはペルシアの支配から解放されたが、のちにローマ帝国領となり、以前ほどではなくても都市は再復興した。現在残る遺跡のほとんどはこの時代のものである。ビザンツ時代にはすでに衰え始めていたが、それでもイスタンブルのアヤソフィア聖堂を建築・設計したイシドルスなどの優秀な人物を生み出した。9世紀になるとさらに衰退し、メンテシェ首領につづいてオスマン帝国がミレトスを支配すると、都市はほとんど廃墟となった。

ミレトスの古代劇場
ミレトスの古代劇場
ミレトス遺跡
入場券売り場に一番近いところにミレトス一番の見どころ・古代劇場がある。ヘレニズム時代に建設されたが2世紀に修築・増築され、15,000人収容可能の劇場となった。オーケストラ用のフロアには竪琴を弾くグリフィンのレリーフがある。正面中央に残っている2つの円柱はかつて皇帝の天幕を支えていたもの。さらに上方にはアーチ状の劇場出口があり、ほとんど完全な形で残っている。劇場の上部にはビザンツ時代の城壁があり、ここからはミレトス遺跡全体を眺めることができる。東方にはヘレニズム時代の墓がある一方、西方に見える丘はかつてのラデ島であり、現在はミレトスに港が無いのと同様、沈泥して陸地続きとなっている。

かつての港付近には2つのライオンの像があり、港の入口を守護していた。このライオンにちなんでライオン湾とも呼ばれている。近くにある海軍記念碑は、紀元前1世紀に何らかの戦いの勝利を記念したものである。
ライオン湾の先にある円柱群はデルフィニオンという神殿へと続いている。これは航海士や港の守護神であるアポロ・デルフィニウスに捧げられたもので、港町であったミレトスにとって重要な建物だった。現在は祭壇の基礎などが残っている。この神殿のすぐ南にはセルジューク朝のハマムがある。
デルフィニオンとセルジューク朝のハマムから南へ伸びる道は聖なる道とも呼ばれており、かつてミレトスと神託で有名なディディマをつないでいた。この道に沿って歩くと1世紀建造のイオニア式ストアが見える。同じ時期に立てられた巨大な浴場やジムナシウムもこの付近にある。

聖なる道付近で最も顕著な建物はニンファエウムで、かつてミレトス最大の美しい噴水があったが現在はその半分ほどしか残っていない。隣には6世紀のビザンツ時代の教会がある。

聖なる道の西側にはアゴラと2世紀の公会議堂がある。南にはもうひとつさらに大きいアゴラがあるが、ベルリンに持ち去られた凱旋門以外発掘されていない。大きいアゴラの西側にある3世紀のセラピス神殿ではヘレニズム-エジプトの神・セラピスを描いたレリーフが見られる。
修復されたファウスナ(マルクス・アウレリウスの妻)の浴場はセラピスの神殿の隣にある。ミレトスを流れる川の守護神であったメアンデルとライオンの2つの像がプールの噴水口となっている。

ミレトスのなかで唯一のセルジューク朝遺跡であるイリヤスベイ・ジャーミィは、メンテシェ首長がティムールに捕虜となった後無事に帰還したことを記念に建てられたもので、おそらく大劇場の次に興味深い作品である。モスクの大理石は古代遺跡から借用したもので、尖塔は1958年の地震でなくなってしまったが、それ以外の保存状態は良好。ミフラーブも大理石でできており、アラビア文字が刻まれている。モスクの入口は特に細かく装飾されていて、アーチには3色使用されている。かつてモスクにはメドレセ(イスラーム修道院)とイマーレト(台所)が隣接していたが、その跡はあまり残っていない。

ミレトスの出土品のほとんどはイスタンブルまたはベルリンの博物館にあるが、そのほかはミレトス博物館で展示されている。5世紀のビザンツ時代のモザイク画や、ローマ喜劇のマスク、キベレ像などが展示品に含まれている。