マルディン(Mardin)

トルコでおそらく一番エギゾチックな町。土色の家々やモスク、教会が段々に連なり、町を見下ろす城塞へと続いている。夕暮れ時には町は神秘的な色合いに染まり、シリア高原の日没はなんとも表現しがたい美しさ。
マルディンではアラブ人やクルド人、トルコ人、スリヤーニと呼ばれるシリア正教徒が混合して生活している。1990年代にテロなどの理由でマルディンでは一定の時間帯に外出が禁止されるほどの緊張状態にあったが、現在はシリア国境も穏やかで、町の雰囲気も平和的。ディヤルバクルから日帰りで観光で着るが、デイル・アズ・ザフェランなどの修道院を見るなら少なくとも一泊しなければならないだろう。

マルディンの歴史
マルディンは昔から地理的にも重要な位置を占めており、この地を征服するため多くの戦争が起り、ローマ帝国の遺跡などは消失してしまった。しかしその後の初期キリスト教時代にはシリア正教徒がこの町に定住するようになる。現在もマルディンには11のシリア正教会があり、そのうち8つは減少する信徒の信仰の場であり続けている。
640年から1104年までアラブ人の支配が続き、その後セルジューク朝の領地となったが、マルディンのシリア正教徒コミュニティーはほとんど影響を受けなかった。12世紀から14世紀にかけてアルトゥク朝の首都となり、現在町の頂上にある要塞はアラブ軍に対する防衛の役割を果たしていた。モンゴル軍の最初の攻撃の際、マルディンは8ヶ月間にわたる攻撃に耐えたものの1394年にティムールの指揮下で再来したモンゴル人はイスラーム教徒・キリスト教徒双方に莫大な被害を与えた。
1408年にはトゥルクメンの黒羊朝が城塞内に現在は廃墟となっている宮殿やモスクを建設した。約100年後の1517年にセリム1世によりマルディンはオスマン帝国の領土となり、1832年にクルド人の反乱が起り町の公共施設が爆破されるまで町の状況は安定していた。その後1839年に一年ほどエジプトの支配下に入ったが、第一次世界大戦までこれといった事件は起こらなかった。
トルコの独立解放戦争の際、マルディンのキリスト教人口は移住や殺害などで急激に減少した。1990年代の初めにはさらにクリスチャンが国外に移住するなど、現在マルディンの人口の約1パーセントである300人ほどのキリスト教共同体が残っているだけである。


マルディンの見どころ
アラブスタイルの古い建築物はマルディンのトレードマークである。特に共和国広場からメインストリートのビリンジ通りを歩くと、その代表ともいえる美しい私邸がある。建物の正面は石造りの3つのアーチで飾られ、マルディンでも有名な邸宅である。
ここからさらに数百メートル進むと、1385年建造のスルタン・イーサ・目ドレセスィがある。このイスラーム修道院はセルジューク朝時代のもので、現在は崩れかけているものの、堂々としてて印象的である。この修道院の上方にはもともとローマ帝国によって建てられ、のちにビザンツ帝国によって増築されたカレ(城塞)がある。城内は軍が管理しているため入ることはできないが、そのテラスからマルディンを一望することができる。ここからはヘディエ・ミナーレと呼ばれる尖塔があり、ハサンケイフにある尖塔とよく似ているが、2つの階段があり登りと降りが別々になっている。
共和国広場の南には11世紀のウル・ジャーミィがある。このセルジューク朝モスクは1832年の反乱で爆破され、ほとんどが修築された。近くには14世紀のラティフィエ・ジャーミィがある。正面入口はセルジューク朝スタイルで、中庭は影があり涼しく、夏の観光にはちょうどいい涼み場である。このふたつのモスク付近にはバザールがあり、道は複雑で迷路のようである。町の西端にはスルタン・イーサ・メドレセスィに似たつくりのカスムパシャ・メドレセスィがある。15世紀建造のイスラーム修道院で、ここにたどり着くには地元の人に道順を聞いたほうがよい。
共和国広場周辺にはテラス付きの家を改造し、新しく開かれたマルディン博物館がある。隣にあるのは大聖堂で、市内で最大の教会。大抵の場合鍵がかかっているので、管理人に頼んで開けてもらわないとならない(この際は教会への寄付を忘れずに)。湿気でかなり傷んではいるがきれいなアーチ型のインテリアで、聖母マリアの聖像や聖者の肖像画などが並んでいる。大聖堂の奥にはふたつの小さな教会、マル・イシュムニ教会とマル・バルサル教会が隠れていて現在も使用されている。牧師は英語が堪能で、教会に隣接した家に住んでいる。教会の見学も可能だが、マルディンの小さなキリスト教共同体に援助するためにも是非寄付をしたい。


マルディン近郊の修道院

デイル・アズ・ザフェラン
別名デイリュルザフラン。「サフランの修道院」の意で、黄色っぽい岩でできた修道院であることに由来する。マルディンの南東約6キロ。現在も残るシリア正教の修道院のなかでも最も簡単にアクセスできる。
493年に創設され、1160年から1920年までシリア正教の総主教を務めていたがその後はダマスカスに移行した。修道院は驚くほど大きな3階建ての建物で、背の低い絶壁の上にある。石工技術が一定でないことから、段階に分けて建築され、修築を繰り返したと考えられる。現在修道院には2人の僧が信徒の援助を受けながら20人ほどの孤児のために学校を運営している。丘の上からは古い時代から修道院を潤してきた水路が通っている。
シリア語の碑文が残っている修道院の正面入口から入ると、僧に迎えられ学生の一人が修道院内を案内してくれる。
修道院の地下には紀元前2000年ごろに太陽神信仰で使われていたと考えられている神殿がある。東側には日の出を眺めることができる窓があり(現在は封鎖されている)、南側の壁にはいけにえ用と思われる祭壇がある。上方にあるクルミの木でできた300歳の巨大な扉は霊廟に続いており、7人のシリア正教総主教の墓が壁に並んでいる。
礼拝堂には優れたレリーフで装飾されたアーチや石彫りの祭壇(50年前に木造の祭壇があったが火事で焼失)、792年からの歴代総主教・主教の名前が刻まれた玉座がある。ミサはシリア語で執り行われ、夕方6時ぐらいに修道院を訪問したら出席できるかもしれない。
このほかにもかつて総主教がつかっていた椅子籠や釘を使わないで作られたクルミの木彫り祭壇、アンタキヤの聖パウロ教会から取り寄せられたといわれるモザイク画などが見学できる。
上階には中庭に面した来客用の部屋があり、ここで宿泊することも可能。ただし、基本的には宗教目的の訪問客のための部屋である。スイートルームもあるが、ここはダマスカスの総主教がごくたまに修道院を訪問した際に使われる。
屋上のテラスからはシリアが眺められ、また廃墟となったマル・ヤコブ教会とミルヤム・アナ教会が見える。

ヌサイビンとマル・アウゲン
シリア国境の町・ヌサイビンはマルディンから南東約60キロ。ローマ帝国時代はニシビスと呼ばれており、当時の遺跡として凱旋門が残されている。ここにもシリア正教の修道院・マル・ヤコブがあるがたまにしか開かれない。またヌサイビンの鉄道駅は第一次世界大戦前にドイツ人によって建てられ、かつてベルリン・バグダット間の通過駅だった。現在は夜明けにガーズィアンテップ行きの普通列車が運行しているのみである。
廃墟と化したマル・アウゲン修道院はヌサイビンの東約33キロにあるが、軍の管轄下にありアクセスできない。


トゥル・アビディン高原
マルディンの東には波立つ高原・トゥル・アビディンが広がる。6世紀にギリシャ正教会から分離したシリア正教会の故郷であり、多くの教会や修道院が点在している。これらのなかには現在も使用されているものもあり、地元のクルド人と共存しているキリスト教徒の信仰の場となっている。乾ききった岩の多いこの高原地帯では、伝統的なブドウ栽培以外に収穫されるものがなく、南東アナトリアのスタンダードにしても貧しい地域である。トルコ政府は援助プログラムを立てたものの、実行されているとは言いがたい状況にある。

ミディヤット
マルディンからドルムシュで一時間もかからない。町は2つのパートに分かれている。主にクルド人が住んでいるエステルと2キロ東にあるキリスト教徒地区・エスキ・ミディヤット(ミディヤット旧市街)。4つの教会と洗練された建築物など、見るべきものはエスキ・ミディヤットにあるが、この地域にはホテルが無いので結局エステルで宿泊しなければならない。
1974年には5000人ものシリア正教徒がミディヤットに住んでおり、ほとんどが金や銀の細工に従事していたが、トルコ政府とPKK間の争いが激しくなるにつれ、キリスト教徒は金を徴収されたりイスラーム過激派に脅迫されたりなど、シリア正教徒の人口は300人に減り、たった一人の牧師が残った。現在残された若いキリスト教徒も、ドイツやカナダにいる親戚のもとに行くことを考えている人が多く、条件が改善されない限りこの地域からシリア正教が消え去ってしまうのは時間の問題である。
旧市街の教会は鐘楼が目印で見つけやすく、すべて徒歩で行くことができる。丘の上にある2つの教会のうち一つだけが現在も使用されている。使用されてないほうは1912-1917年ごろに建設された比較的新しいもので、今は鳩の住処となっている。
丘を南のほうに向かって降りると、入口に十字架のある教会がある。このあたりに住んでいる教会の管理人が鍵を開け、中を案内してくれる。内部には手染めのカーテンが祭壇にかかっているほか、アンティーク愛好家の興味をそそる300年から1000年前の祈祷書がある。シリア正教徒の子供たちは放課後この教会の中庭にある聖書の授業に出席し、祈祷を唱えたりしている。シリア語で聖書を手書きする若い人もいる。また鉤針編みの手芸品なども売られているので、寄付の意味で買うのもいいだろう。


ミディヤット周辺の教会や修道院
トゥル・アビディン高原にはシリア正教徒が住んでいる5つほどの村があり、合計46の教会・修道院がある。地図にも載っていない村もあり、歩いてこれらの村にアクセスするよりは、タクシーなどを使ったほうが賢明。

マル・ガブリエル(デイルルムル)修道院
ミディヤットの南東約22キロに位置する修道院で、宿泊も可能。397年に創設された最古のシリア正教修道院であり、トルコ国内でも最も重要な修道院である。19人もの修道士・修道女が住んでおり、信者のほかにもシリア語を勉強するために来たトルコ人の学生などがいる。トゥル・アビディン地方のシリア正教主教もこの修道院にいて、訪問客を迎え入れてくれる。
マルディン近郊の修道院であるデイル・アズ・ザフェランと比べて、この修道院はワーキング・コミュニティと言える。庭や果樹園の間に位置するマル・ガブリエル修道院の目的はシリア正教をその誕生の地で生かし続けることであり、そのために学校を運営したり、地元の修道士を聖職受任させたりなどしている。
この修道院で宿泊するには許可が必要だが、夕方ごろになると自動的に許可が下りる。というのは日没時になると修道院の鋼鉄門は堅く閉ざされ、非常事態でもない限り翌日の朝まで開かれないからだ。構内の高い壁は略奪者からの保護という中世の役割を現在も維持しており、PKKやイスラーム過激派からキリスト教徒を守っている。
夏の宿泊はテラスでの簡易ベットと簡単な夕食が用意される。夜明け、正午、夕暮れ時には鐘楼の下にある地下教会での礼拝式に参加できる。宿泊料金は設定されていないが、やはり寄付金を渡すのが礼儀だろう。

村の教会
ミディヤットとは反対方向にハサンケイフに向かって約4キロほど行くと、トゥル・アビディン高原の残りの教会がある。一番保存状態がよいとともに一番遠いのはメルイェムアナ修道院教会(エル・ハドラ)で、24キロ離れたアヌトゥル(ハフ)村にある。5世紀に建てられ、小塔はウエディング・ケーキの形をしており、所々細かい装飾が見られる。
ほかにもバーラルバシュ(アルナス)村のマル・キリアコス教会やアルトゥンタシュ(ケフェルゼフ)村のマル・アザザエル教会などがある。どちらも同じ建築家の作品で、メルイェムアナ修道院教会よりも少し後に建てられた。