ボアズカレ(Bogazkale)

ボアズカレ付近にあるヒッタイト遺跡はアナトリアのほかの遺跡のなかでもスケールが大きく重要な遺跡である。これらの遺跡はヒッタイト王国の首都であったハットゥーシャス、神殿跡があるヤズルカヤ、ヒッタイト人の紀元前4000年前の住居遺跡であるアラジャホユックの3つである。ハットゥーシャスとヤズルカヤはどちらもボアズカレに近いが、これらの遺跡の間には坂もあり、歩いていくには時間と体力が必要。ボアズカレから約25キロ離れたアラジャホユックも見学することを考えると、ボアズカレ発のツアーを上手に利用して3つの遺跡を見て回るのがベストかもしれない。
ボアズカレの中には小さな博物館もあるが、遺跡で発掘された重要な出土品のほとんどはやはりアンカラのアナトリア文明博物館で展示されている。
ホテルやキャンプ地などもあるので、観光の後急いでほかの町に移動しなくても大丈夫。

ハットゥーシャス

長さ6キロの城壁に囲まれたヒッタイトの首都ハットゥーシャスは、当時のスタンダードを考えるとかなり巨大な都市だった。この地はもともとハッティ人によって紀元前2,500年頃に建てられたが、中央アナトリアを支配したヒッタイト人はハットゥーシャスへ移動し、紀元前1375年頃にこの都市を首都に定めた。紀元前1200年頃には「海の民」と呼ばれる民族によってこの地におけるヒッタイトの支配は終わりを告げ、ハットゥーシャスは破壊された。その後フリギア人が巨大な都市を同じ場所に再建した。
かつてハットゥーシャスには多くの建物が存在したが、現在残っているものはそのライムストーンでできた基礎のみである。この基礎の上部には土レンガを支えていた木造の骨組みがあったが、かなり昔に焼失してしまった。遺跡の中でも一番の見どころはビュユック・マベト(大神殿)とビュユック・カレ(大要塞)のふたつ。

ラムセス2世からの贈り物
ラムセス2世からの贈り物
ブユック・マベト
遺跡の入場口からごく近くのところに位置する。ヒッタイト遺跡の中でも保存状態がよい神殿。嵐の神テシュバと太陽の女神ヘブトに捧げられた神殿で、神殿中央を78の貯蔵室が不規則に囲む形で紀元前14世紀または13世紀に建てられた。
今日この遺跡は石の土台ほどしか残っていないため、もともとどのような神殿だったのかを想像するのは多少困難。まず大きな二つの石があるが、これは儀式の門で、神殿構内へと続いている。そばにあるライオンの石像はもともと貯水槽の一部だった。さらに奥へ進むとそこには大きな緑色の石があり、これはエジプトのラムセス2世からの結婚プレゼントだといわれている。ヒッタイト時代に王と女王はそれぞれ神官であり、宗教行事をここで執り行っていた。約30メートルほどいくと神殿そのものにたどり着ける。
神殿は中庭を取り囲む12の小さな部屋から構成されている。北東の端には嵐の神テシュバと太陽の女神ヘブトの像が奉納されていた2つの部屋がある。神殿に隣接した貯蔵室には、ピトイと呼ばれる土器などの破片が見られる。ビュユック・マベトの下方にはアッシリア人の初期商業地区があり、ここにはヒッタイトのロゼッタ・ストーンがあり、ヒッタイトの象形文字が刻まれていた。

イェニジェカレとアスランルカプ
神殿から350メートル先にはハッティ人の最初の居住地があり、ここで道は2つに分かれる。右の道は丘へと続き、さらに800メートルほど行くとそこにはイェニジェカレと呼ばれる要塞がある。そこから少し登ったところにはアスランルカプ(ライオンの門)があり、門の両側には2つのライオンが彫られている。これらは復元であり、オリジナルはアンカラのアナトリア文明博物館に展示されている。アスランルカプ周辺には城塞の遺跡が残っており、なかには高さ10メートルに及ぶものもある。

イェルカプ
現在イスタンブルとベルリンの博物館に所蔵されているスフィンクスの門がイェルカプにあったため、別名スフィンクスの門とも呼ばれている。ここからは平たい石がお互いに重なり合ってできている70メートルのトンネルが城外へと続いている。このトンネルの目的は敵の隙をついて攻撃にでるためだとも言われているが、トンネルの大きさが目立ちすぎることからおそらく宗教儀式の際使われていたと考えられている。イェルカプの北側には7つの神殿跡が点在している。

クラルカプ、ニシャンテペ、サルカレ
イェルカプ(スフィンクスの門)から城塞に沿った道を行くとそこにはクラルカプ(王の門)がある。実際に堂々たるレリーフのコピーが門の左側にあるが、これは王ではなく嵐の神テシュバ。オリジナルはやはりアンカラのアナトリア文明博物館にある。
丘を降りていくと左にニシャンテペと呼ばれる岩に刻まれたヒッタイトの碑文が見えてくる。30センチほどの象形文字はかなり風化してしまっているが、ヒッタイト王国の最後の王・スッピルリウマ2世に捧げられたことが解読されている。
ニシャンテペのすぐ南西にあるサルカレ(黄色の要塞)はヒッタイト王国の後フリギア人が建てた要塞。

ビュユックカレ
ニシャンテペからはビュユックカレ(大要塞)へと道が続く。この要塞の中にある宮殿はヒッタイト王国の王が紀元前14世紀から13世紀にかけて住んでいた。3つの中庭から構成され外側から内側にかけて段が高くなっているため、敵は侵入の際一つ一つ占領しなければならなかった。一番下と真ん中の中庭は宮殿の奉仕者と王族の側近の住居であり、一番上のパートは王族に属していた。
宮殿付近では楔形文字が刻まれた3000個の破片が発見され、このなかにはヒッタイトの王・ハットゥシリ2世とエジプトの王ラムセス2世の間で結ばれたカデシュ条約もある。これは文字に記された世界最古の条約である。


ヤズルカヤ

ここにある遺跡は紀元前1500年前にさかのぼるものもあるが、有名なレリーフや神殿跡は紀元前13世紀以降のものと考えられている。ヤズルカヤの遺跡のメインはヒッタイトの神々などが描かれているレリーフ。

シャッルマとトゥドハリヤ4世
シャッルマとトゥドハリヤ4世
レリーフ
レリーフがある2つの谷のうち大きいほうへは神殿跡の左後方から入ることができる。左側には神々が、右側には女神の像が並んでいて、女神は円錐状の被り物をかぶっており、長いドレスをまとっている。神々の側では12の戦いの神や月の神クスフが特に目を引く。神々と女神は谷の奥で出会い、ここでは山々にまたがったヘブトが豹の上に立っている女神ヘブトと向かい合っている。ヘブトの後方には彼らの息子シャッルマも豹の上に立っており、そばにはほかの女神たちが描かれている。女神側のレリーフのなかにはトゥドハリヤ4世(紀元前1250年―1220年)が王旗と太陽を握っているレリーフが谷の入口近くに描かれている。トゥドハリヤ4世はこの神殿を建てた王と考えられている。この大きい谷は初春に行われていた新年のお祝いに使われていたと考えられている。
もうひとつの小さい谷の入口には2つのスフィンクスが描かれているが、風化していて見分けるのが困難。また12の人物像があるが、これは大きい谷に描かれている12の戦いの神々に似ているが、保存状態はこちらのほうがよい。向かい側には「剣の神」のレリーフがある。人間の胴体が刀として描かれている一方、柄の部分は頭となっている風変わりなレリーフである。これはヒッタイトの下界の王ネアルガルを表現している。その隣にはトゥドハリヤ4世を抱えているシャッルマのレリーフがある。この場所はヒッタイト王の葬儀の際使われていたと考えられている。


アラジャホユックのスフィンクス門
アラジャホユックのスフィンクス門
アラジャホユック

ハットゥーシャスの次に重要なヒッタイト遺跡。もともとハッティ人の定住地だったが、ヒッタイトによって占領され、その後一時フリギア人の定住地となった。遺跡のほとんどはヒッタイトのものだが、ハッティ人の墓跡から地母神の像なども出土している。

遺跡の隣にはハッティ人住居跡からの出土品が展示されている小さい博物館がある。ヒッタイトだけでなくハッティにも興味がある人には必見。

遺跡へは南側のスフィンクスの門から入る。右側の門の土台には2つの頭を持つ鷹があり、キュルテペのアッシリア貿易植民地にも同じシンボルが見られる。ほかのレリーフは宗教儀式を描いたもので、オリジナルはアンカラにある。ヒッタイトの王と女王が祭司とともにいけにえ用の動物を引き連れてテシュバ神へ行進しているものなどがある。
スフィンクスの門から遺跡内へ入るとそこには城塞や貯蔵庫の跡がある。貯蔵庫を過ぎるとハッティ時代の墓が13あり、ここからの出土品は考古学的に大変貴重なもので、現在アンカラのアナトリア文明博物館の青銅器時代の部門で展示されている。出土品の豪華さから、これらの墓はハッティの君主たちのものと考えられる。
西側の門にはトンネルの最初の部分が今も残っている。

 

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