ベルガマはカイクス川(caicus)の北側に起こり栄えたギリシャ都市。ヘレニズム時代にアッタロス朝(紀元前282-129年)のもとでペルガモン王国の首都として栄えた。
アレキサンダー大王の死後、彼の有力武将のひとりであったリシマコスはベルガマを主要軍基地に定めた。当時小アジアを勢力下に収めようとしていたアンティゴノスが死ぬと、その武将であったフィレタイオスはリュシマコスに近づき、ベルガマ城の護衛に任命された。リュシマコスがシリア王との戦いによって戦死すると、はじめはシリアに属したが、その後ペルガモン王国として独立した。アレキサンダー大王の死後彼の多くの財産はベルガマ城に隠されていたというが、ペルガモン王国の独立後、ベルガマ城の修復や徴兵がなされたところをみると、この財産がフィレタイオスに受け継がれたと考えられている。
ペルガモン王国はユメネス2世の時代(紀元前197年-159年)に勢力を拡大し、最盛期を迎えた。この38年間にベルガマ遺跡は築かれ、またパムッカレのヒエラポリスも同時期に建てられた。
アッタロス朝は3回に渡るマケドニア戦争ではローマを支持するなど、ヘレニズム国家の中でもローマ帝国の支持者として知られていた。セレウコス朝との戦いでもローマを支持し、報酬として小アジアにおける旧セレウコス朝の領土を譲られた。アッタロス朝はギリシャ都市の自治を認めるなど、寛容さで知られていた。またギリシャ文化都市であるデルフィやアテネ、デロスなどに贈り物を送ったりもしていた。アテネのアクロポリスをモデルとしたアクロポリスを築いたが、これは現在ベルガマではなく、ベルリンのペルガモン博物館で展示されている。
ベルガマは古代ギリシャ時代にアレキサンドリアに次ぐ規模の図書館を有していた。その蔵書数は20,000冊に及んだといわれている。プトレマイオス朝がパピルスの輸出を停止したのち、ペルガモン王国はぺルガミヌスと呼ばれる羊皮紙を発明した。
最後の王アッタロス3世の後継者はおらず、また内戦を防ぐため、彼は遺言としてローマの属州になることを命じた。
ベルガマ遺跡内にはアスクレピオン(病院)がある。ここで病人は聖なる泉で入浴し、その後夢で古代ギリシャ神話の薬と治療の神・アスクレピオスが出てきて治療法などを教えたという。出土品の中には回復した病人がアスクレピオスに捧げた小さな壷などがある。
また、ベルガマの教会は聖書の「黙示録」に出てくる7つの教会のうちのひとつである。ベルガマ遺跡では1874年に発掘が始まったが、ドイツ人技師カール・ヒュマンが遺跡の一部を発見したのち、1878年にドイツ考古学研究所も発掘に参加した。1927年にはアクロポリスが発見された。カール・ヒュマンは死後、遺言どおりアクロポリスに埋葬された。
ベルガマの遺跡
トロヤヌス神殿
ローマ皇帝ハドリアヌスが前の皇帝トロヤヌスのためにベルガマ遺跡の最も高いところに建てた神殿。この神殿が建てられる前も、同じ場所にヘレニズム遺跡があったと考えられている。2人の皇帝の大理石像もこの神殿で出土したが、ベルリンのペルガモン博物館で展示されている。
アクロポリス
当時アクロポリスは3つに別れていた。一番上には王の宮殿や神殿、貯水池などがあり、王族や国の有力者などが住んでいた。その下の定住地にはジムナシウム、一番下には市場などがあった。
へルーン
へルーンとは英雄のために建てられた記念碑のことをいう。死後神聖化されたアッタロス1世やユメネス2世などの王に捧げられたへルーンはアクロポリスの入口の左側にある。王の霊廟はないが、貯水池がある。
王の宮殿
アクロポリスの東にはペルガモン王国の歴代の王が住んだ宮殿が並んでいる。ペルガモン王国の創始者フィレタイオスの宮殿はのちに兵舎として使われた。ほかの宮殿はアッタロス1世、ユメネス2世、アッタロス2世の順で並んでいる。
武器倉庫
紀元前3・2世紀に作られた。
水路
ローマ帝国時代2世紀に作られた。かつてベルガマの北45キロ離れたところにあるマドラ山からベルガマ城まで水が引かれていた。
ゼウスの祭壇
ガラティア人(ケルト人の一派)撃退を記念して紀元前180年から160年の間ユメネス2世によって建てられ、ゼウスに捧げられた。ロードス島出身のメネクラテスという建築家の作品だと考えられている。アクロポリスの中でも最も重要視されるこの遺跡は、カール・ヒュマンによって発見された。ゼウスの祭壇はほぼ完全に修復された形でベルリンのペルガモン博物館に展示されている。現在ベルガマ遺跡ではゼウスの祭壇の台座しか残っていない。
アテネ神殿
劇場とゼウスの祭壇がある段の上段にある。紀元前3世紀に建てられたと推測されるこの神殿はペルガモン遺跡の中でも最古の遺跡である。アテネ神殿の門のパーツはベルリンのペルガモン博物館にある。神殿の中央には円形の台座があり、アテネ像やアウグストゥスの銅像が立てられており、その周りにはアッタロス1世やユメネス2世などの像が発掘された。
劇場
ユメネス2世の時代に建造された。山の斜面にあり、当時10,000人もの観客を収容することができた。ヘレニズム時代の最も傾斜のある劇場。当時舞台は木材でできており、芝居が終わると舞台も撤去されていた。またVIP席は大理石でできていた。
ディオニュソス神殿
紀元前244年に建てられたイオニア式の神殿。カラカラ帝の時代(211-217年)に大部分が大理石となった。その後カラカラ帝は「新しいディオニソス」として崇拝された。
デメテルの聖域
ペルガモン王国の創始者フィレタイロスと弟ユメネスが彼らの母親であったボアのために建てた。デメテルとはギリシャ神話の豊作の女神。祭壇に必要不可欠な泉といけにえの穴がある。
ペルガモン図書館
アテネ神殿の後方にある。20,000冊の蔵書があり、当時アレキサンドリア図書館に次ぐ規模を誇っていた。紀元前1世紀にマルクス・アントニウスはひそかに蔵書の大部分を持ち出し、クレオパトラに寄贈したといわれている。その後少ないながらも残った蔵書は保管され続けたものの、8世紀にアラブ人の侵入で焼失した。
ジムナシウム
市民の心と体の健康育成目的のために紀元前3世紀後半に建てられた。ジムナシウムは3段に分かれており、一番下は子供用、真ん中は青年用、一番上は成人用だった。一番下と真ん中の段はヘレニズム時代の特徴を保っているが、上の段はローマ皇帝ハドリアヌスの時代に大幅に修築された。
アゴラ
アクロポリスの中には2つのアゴラがあり、ゼウス神殿の下にあるアゴラは「上のアゴラ」、アクロポリスの南門のそばにあるアゴラは「下のアゴラ」と呼ばれている。下のアゴラはユメネス2世の時代に建てられた。
アスクレピオン
アスクレピオンとは病院のことで、ギリシャ神話の薬と治療の神であるアスクレピオスから派生した単語である。この病院とベルガマ遺跡は約1キロの「市場の道」でつながれていた。
ローマ時代の旅行家・地理学者であったパウサニアスの文献によると、ここでは紀元前4世紀にアスクレピオスに捧げられた聖なる泉があり、そのそばに神殿が建てられた。ヘレニズム時代になるとこの神殿の周りには円柱のついた回廊や様々な建物が建てられた。2世紀のローマ時代にはこれらの建物は修築され、さらに劇場や図書館などが加えられた。当時医学で有名な都市であったエピダウロスやコス島などとともにペルガモンでも様々な医学研究が行われ、有名な医師も生み出した。
ベルガマ市内のその他の遺跡
クズルアヴル
2世紀にローマ時代にエジプトの神・オシリスに捧げられた神殿。ビザンツ時代に教会に変えられた。