ヘラクレイア (Herakleia)

かつてエーゲ海だったが沈泥の結果湖となってしまったバファ湖の北東には、古代ラトモス山(現在のベシュパルマック山)とヘラクレイア・アド・ラトモス遺跡がある。バファ湖南岸のペンションからボートでアクセスできるが、自分の車があるなら陸地からもアクセスできる。

ヘラクレイア・アド・ラトモスの歴史
もともとカリア人の都市であり当時ラトモスと呼ばれていた。イオニア人が定住し始めた後もボドルムなどのその他のカリア都市との交流がイオニア都市よりもさらに活発に行われていた。ヘレニズム時代後期になると都市は1キロほど西に移動し、ヘラクレイアと呼ばれるようになった。城壁や様々な建物が建てられたものの重要な都市となることは決してなかった。海上貿易はミレトスに独占され、すでにその頃沈泥は進み都市はエーゲ海から遠ざかっていた。
ヘラクレイアは都市自体よりもそのそばにあるラトモス山にまつわる伝説で有名である。ギリシャ神話によるとハンサムなアイオリス人のエンデュミオンはある日ラトモス山で眠っていた。彼を見た月の女神・セレネは恋に落ち、彼が永遠に美しいままであるようゼウスに頼む。この願いは聞き入られ、セレネは永遠の眠りについたエンデュミオンとの間に50人もの娘をもうけたという。この神話からエンデュミオンは官能的な夢のシンボルとなり、後世シェイクスピアの作品などでも言及されるようになる。
ビザンツ時代にヘラクレイア付近はキリスト教隠者の中心地となり、エンデュミオンの神話は違った形で解釈されるようになった。隠者たちによるとエンデュミオンは月と交わったことで神の秘密の名を知った神秘的な人間であった。年に一度隠者たちは修道院やラトモス山にあるすみかの洞窟からエンデュミオンのものと信じられていた墓に集まっていた。墓のふたを開けると中にある骸骨からつぶやき声が発し、聖なる名前を伝えようとしたという。ヘラクレイアの修道院は何人か聖者を生み出したが、14世紀初頭にほかの都市へと分散した。現在ビザンツ時代の面影はほとんど残されていない。
夜へラクレイアでラトモス山の向こうに昇る月は、ギリシャ神話を信じたくなるほど美しい。

ヘラクレイアとバファ湖
ヘラクレイアとバファ湖
ヘラクレイア・アド・ラトモス遺跡
2つの駐車場のうち下の駐車場に近いところに紀元前2世紀の公会議堂が見える。壁の一部と座席が何列か残っているのみである。ここから下に見えるローマ浴場とローマ劇場へは2つの駐車場の間から続く道をたどって行くことができる。ラトモス山にあるキリスト教隠者の洞窟へは上の駐車場から行けるが、登る際はスニーカーなどを着用したほうがいい。アレキサンダー大王の後継者の一人であったリュシマコスが紀元前3世紀後半に建てたヘレニズム城壁を訪れる際も、歩きやすい靴が必要。
ヘレニズム時代のアゴラの南側には古代の店舗が並んでいる。店舗の中には保存状態が良い2階建てのものもあり、窓までが残っている。アゴラからは城塞がある岬が湖へ突き出しているのが良く見える。アゴラの西にあるアテナ神殿もヘレニズム時代のもので、神殿入口の左側にはアテナへ捧げられた碑文がある。
アゴラから湖岸へ続く道を降りると、残りの遺跡群が見えてくる。エンデュミオンの聖域の正面には5つの円柱跡がある一方、後方には半円形の壁が残っており、キリスト教徒が教会の後陣として建てたものと思われる。もう一つの遺跡は古代のネクロポリス(墓)で、湖につかってしまっているものもある。


バファ湖
バファ湖はブユック・メンデレス川が運んだ土砂が長年にわたって沖積した結果、ラトモス湾がエーゲ海から切り離されてできたものである。湖の北西には古代のラトモス山が立ち、湖の西岸からでも確認できる。湖には小さな島が点在し、島の上にはラトモスが修道院の中心地であった7世紀から14世紀にかけて建てられた要塞付きの修道院や教会などがある。
バファ湖の西端はブユック・メンデレス川と接しているため、完全に海から切り離されているわけではない。このため湖の水は少し塩っぽく、バスやボラなどの海水・淡水両方で生息できる魚が獲れる。またバファ湖では渡り鳥を観察することができる。
夏などの乾燥した季節になると湖の水位は下がり、水底の雑草が生い茂って湖で泳ぐのが困難になることがある。