ハサンケイフ(Hasankeyf)

中世のトルコ・クルド・アラブ遺跡が混在したチグリス川のそばにある遺跡。ここから少し下流にあるイリスという村で計画されているダム建設は、約5000年もの歴史を持つハサンケイフの一部をも含んでおりトルコ国内では遺跡保護のため反対の声があがっている。隣国シリアもダム建設により自国への水の供給が大幅に減少するため不支持の態度を示しているものの、建設の実行はほとんど確定で、イギリス政府が約束した援助もこれを裏付けている。
遺跡がダムに沈む前に是非ハサンケイフを訪れてみたい。

ハサンケイフの歴史
ローマ時代にはアナトリアの東要塞の役割を担っていたハサンケイフはビザンツ時代にはケフェの主教区となった。640年にアラブ軍がこの地を占領すると、ヒスン・カイファと呼ばれるようになった。12世紀にはトゥルク族のアルトゥク朝の首都となったが、これは1260年のモンゴル軍の侵攻まで続いた。その後クルド族のサラーハッディーンが創設したアイユーブ朝の重要都市となるが、15世紀にはオスマン帝国の領地となった。

ハサンケイフの遺跡
とりわけハサンケイフで一番目につくのは4つの柱が残っている橋の跡。12世紀にアルトゥク朝時代に建設された。橋の中央部分はかつて木造だったという説もある。当時にしては壮大な橋であったことが簡単に想像できる。
同じ時代の遺跡としてアルトゥク朝の宮殿がある。現在は昔の面影すらないが、ここからのチグリス川の眺めは素晴らしい。
ハサンケイフの城塞の一番高い地点にはアイユーブ朝が建てたウル・ジャーミィがある。保存状態はかなり悪い。
アイユーブ朝時代の遺跡の中でも優れたものはモスクの尖塔。エル・ルズク・ジャーミィの尖塔には2つの階段があり、チフテ・メルディヴェンリ・ミナーレと呼ばれている。上部のモチーフは細やかで美しい。この尖塔はハサンケイフのランドマークともなっている。
遺跡の中でも面白いのはゼイネルベイ・トゥルベスィ。15世紀に白羊朝によって建てられた霊廟で、ブルーのタイルがモザイクを形成している。ティムール王朝の影響も色濃い作品。残念ながらダム建設の際はこの霊廟が真っ先に水に沈む予定である。

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