ネムルートダー(Nemrut Dagi)

21590メートルの山頂にころがっている巨大な石像群やアンティオコス王の墓、神殿・・・ネムルートダーは南東部アナトリアで一番知られている観光スポット。日の出または日没時のツアーが近郊の町アドゥヤマン、キャフタ、マラティアから利用できる。10月から5月までは山頂で雪が残っており車が登れないこともあるので注意。

ネムルートダーの歴史
コンマゲーネ王国の創設者であったミトリダテス1世カリニクスの息子・アンティオコス1世エピファネス(紀元前64-38)の壮大妄想の結果、ネムルートダーは建設された。その巨大な神殿群や霊廟のイメージとは異なり、コンマゲーネ王国はセレウコス朝から分裂したガーズィアンテップからアドゥヤマン地域を支配していた小さな国家だった。
アンティオコスは自らを神聖なる者、または神々と同一視しており、次のように述べている。「我、偉大なる王アンティオコスは神々への信仰を証明するため、決して消えることのない神殿をここに建設する。我はここに眠り、魂は昇天しゼウスと一体化する」
アンティオコスはまた自らをペルシアのダレイオス大王やアレキサンダー大王の子孫と称するなど、その虚栄心は国境を越えていた。ついにローマ帝国に対しパルティア人に味方したため、アンティオコスは廃位し、事実上コンマゲーネ王国は滅亡した。その後ローマ帝国領となり、コンマゲーネ王国は巨大な神殿群のみを残し歴史から姿を消した。
ドイツ人技術士カール・プッフシュタインが1881年に地方調査の際ネムルートダーの遺跡群を偶然発見し、1883年にペルガモンの祭壇をベルリン博物館に移送したカール・ヒュマンとともに発掘調査のため再来した。しかし本格的に調査が始まったのは1953年で、アメリカの発掘隊が指揮をとった。

ネムルートダーの遺跡
頂上には駐車場やカフェなどがある。駐車場の後方に入場口があり、中に入ると小さな岩に覆われた高さ約50メートルのアンティオコスの墓がある。ここから約10分ほど歩くと東の神殿があるテラスが見えてくる。テラスには6つの頭のない神像が並んでおり、左からアポロン、ティケ、ゼウス、アンティオコス、ヘラクレスで、一番右の像が誰なのかはわかっていない。これらの前方には写真などでよく見られる巨大な頭が3つ並んでいる。これらは異なりながらも性質の似た神々を持つ異文化の統合を表しており、アレキサンダー大王支配下の大帝国の原理に基づくものである。アンティオコスの戴冠記念日に国民はネムルートダーに登り、王の像の裏側に刻まれたギリシャ碑文に従っていけにえや献上品の贈呈などが執り行われていた。いけにえの祭壇は現在VIP訪問者のヘリコプター到着場として使用されている。周辺には鷹やライオンなどの巨大な像が散らばっている。
西側にも神殿があるが、こちらの像群の保存状態はあまりよくない。しかしここでころがっている巨大な頭は東側に比べて風化がそれほど進んでおらず、像の数も多い。東の神殿同様、コンマゲーネ王国のシンボルであった女神ティケやエルビス・プレスリー似のアポロン像がある。一方、レリーフはきれいに残っていて、アポロンやゼウス、ヘラクレスと握手をするアンティオコスや、ライオンとともに木星、火星、彗星が描かれたレリーフがある。おそらくこのレリーフは神殿建設が始まった日の天体図を表していると考えられている。


ネムルートダー付近の遺跡

カラクシュ古墳とジェンデレ橋
キャフタから約9キロほど北へ向かうと、アンティオコスの妻が埋葬されていると言われているカラクシュ古墳が見えてくる。動物のモチーフつきの円柱が古墳を取り囲んでおり、そのなかにある鷹にちなんでカラクシュ(黒い鳥)と呼ばれるようになった。
さらに9キロ進むと、193年から211年の間にローマ皇帝セプティミウス・セヴェレスによって建設された優美な橋がある。修築されて現在も使用されており、ここからのジェンデレ峡谷の眺めは素晴らしい。

エスキキャフタとアルサメイア
エスキキャフタはマムルーク朝時代の城塞(イェニカレ)がそびえ立つ丘のふもとにある伝統的な村。城塞からは下の峡谷へと続く階段があるが、これを使うのは危険なため、付近のセルジューク朝の橋から降りるのがベスト。
城塞の南にはコンマゲーネ王国の首都・アルサメイアの遺跡がある。ここではミトラス神やコンマゲーネ王国の創始者・ミトリダテス1世カリニクスと太陽神アポロンを描いたレリーフなどがある。一番保存状態がよいのはヘラクレスとカリニクスが握手をしている巨大なレリーフ。このレリーフの隣にはトンネルがあり、150メートルほど奥で陥没している。トンネルの入口には25行の巨大な碑文があり、ミトリダテス1世カリニクスはこの付近で埋葬されており、この場所は彼に捧げられたという内容が書かれている。
アルサメイアでは多数のモザイク画も発見されたが、現在はアンカラのアナトリア文明考古学博物館で展示されている。


ネムルートダー見学の拠点都市

アドゥヤマン
銅製品のバザールやその隣にある隊商宿ぐらいしか特に見るところはないが、旧市街にはシリア教会やアルメニア教会などもある。またアドゥヤマン博物館ではコンマゲーネ王国時代のコインやセルジューク朝の陶器などが展示されている。
ネムルートダーへのツアーはバス・ターミナルにあるバス会社が行っている。またカラクシュの古墳、ジェンデレ橋、コンマゲーネ王国の首都であったアルサメイアなどのツアーもある。

キャフタ
アドゥヤマンからドルムシュで約30分行くとネムルートダーに最も近い町・キャフタがある。ここにあるホテルやペンションのほとんどはネムルートダーへのツアーを手配しており、その数はアドゥヤマンよりも多い。

マラティア
ネムルートダーの北西側に位置する。アドゥヤマンやキャフタに比べると遠いが、マラティア郊外にはエスキ・マラティアやアスランテペなどの見どころがあり、市内の雰囲気もよい。
マラティアはかつてトルコの大統領を務めたイスメット・イノニュやトゥルグット・オザルの出身地で、特にトゥルグット・オザルの任期中には都市復興が進んだ。市内には銅製品バザールのほか特産品であるアンズのバザールがある。

エスキ・マラティア
マラティアから約12キロ北にあるローマ・ビザンツ帝国時代に栄えた町。旧都市城塞は現在も残っているが、かつての53もの教会や修道院群のほとんどは姿を消してしまっている。1828年に都市城塞内をオスマン帝国軍が宿舎として使い始めた際、市民は夏の休養地として使っていた現在のマラティアへと移り住み、それ以来ほとんどの人が戻らなかったという。
エスキ・マラティアには17世紀の隊商宿や、セルジューク朝のスルタン、アラアッディン・ケイクバートの時代に建てられたウル・ジャーミィなどがある。ウル・ジャーミィは現在廃墟となっている神学校とともに建設され、夏用と冬用の二つのモスクがあった。ドームのレンガ細工やミンベルの美しさ、ブルーのタイルを使ったデザインなど、モスクのいたるところが洗練されている。
モスクの南にはイスラーム修道院やメリク・スヌルラー尖塔(1394年)がある。

アスランテペ
マラティアから4キロ離れたところにある古代遺跡。アスランテペとは「ライオンの丘」の意味で、北都市門付近で発見されたライオンの像にちなんでいる。これらの像は現在アンカラのアナトリア文明考古学博物館で展示されている。現在イタリアの発掘チームにより発掘作業が毎年8月から10月の間に行われており、見学の際は説明をしてくれることもある。紀元前4千年紀後半に建てられた泥レンガの宮殿は遺跡の代表。そのほかにも紀元前3200年ごろの壁画や宮殿、古墳なども残っている。その後ヒッタイト、ローマ帝国、ビザンツ帝国の都市となるが5世紀にビザンツ帝国は現在のエスキ・マラティアへ移動し、アスランテペの4千年にわたる定住は終わった。

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