シデ(Side)

シデはアンタルヤから約75km東に位置するパンフィリア古代都市。北西アナトリア(アイオリア地方)のギリシャ人の定住によって紀元前7世紀に形成され、パンフィリアでも重要な貿易港都市となった。
6世紀にリディアの支配を受けたのち、547年にはペルシア帝国内の半自治都市となった。この時代にシデは自らの貨幣を鋳造していた。
アレキサンダー大王紀元前333年にシデを占領した際、たった一つの駐屯軍を配置した。この占領によりシデにもヘレニズム文化が浸透し、紀元前1世紀まで繁栄した。アレキサンダー大王の死後、彼の将軍のひとりであるプトレマイオスが創始したプトレマイオス朝エジプトの支配下に入った。紀元前2世紀にはセレウコス朝の領地となるが、ある程度の自治権は確保し続け、重要な文化中心地となった。
紀元前190年にローマ帝国とペルガモン王国の支援を受けたロードス軍は、カルタゴの将軍ハンニバル率いるセレウコス朝のアンティオコス3世の軍隊を破った。この戦いによりセレウコス朝のシデ支配は終わるが、紀元前1世紀にはキリキア人の海賊により海軍基地がおかれ、シデは奴隷貿易の中心となった。
キリキア人海賊がローマ将軍ポンペイによって打倒されると、シデはついにローマ帝国の一部となり、ほかの周辺都市とともにパンフィリア州として統治されるようになった。シデはアナトリアの重要な商業中心地となり、3世紀まで繁栄し続けた。現在残っている遺跡のほとんどはこの時代の遺跡である。
シデは4世紀以降衰退の一途をたどった。ビザンツ時代初期にはかなりのユダヤ人が住んでいたが、その後市民は次第にアンタルヤへと移住し、シデは「Eski Adalia(旧アンタルヤ)」と呼ばれるようになった。
アナトリアでも有数の広大な遺跡は大きな岬にもある。岬は都市要塞で本土から分けられており、これらの要塞は中世に修復された。岬には遺跡群があり、ローマ古代劇場もそのひとつである。アナトリアに点在する古代劇場はギリシャ式がほとんどだが、シデにはギリシャ式古代劇場の建設に適した丘の斜面がなかったため、ローマ式になったと思われる。アスペンドスの古代劇場ほど保存状態はよくないが、それでも規模はほぼ同じである。
古代劇場以外に、シデ遺跡には3つの神殿や水道橋、ニンファエウムがある。ニンファエウムとはギリシャ神話に登場する半神半人の妖精、ニンフに捧げられた碑のことで、シデのニンファエウムのデザインは凝っている。
シデではまた、ザクロがよく育つことで知られているため、アナトリアのザクロもシデと呼ばれるようになった。
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