古代リディア王国の首都サルディス(トルコ語サルト)はマニサから東に約50キロのところにある。マニサからドルムシュまたは電車で日帰り旅行も可能だが、サルディスに近いサーリヒリという町を観光拠点にしてもよい。マニサに比べるとサーリヒリ自体には見どころはないが、宿泊施設のほうはサーリヒリの方が充実している。
サルディスの歴史
サルディスの歴史はかなり古いため、史実と伝承が混ざりあいどれが実際に起こった出来事なのか判断するのは多少難しい。おそらく紀元前1200年ごろにサルディスでの定住が始まり、その後アナトリアの土着人とギリシャ人が混交したリディア人が都市を形成していった。リディア人の変わった慣習のなかには、独身女性が売春をして嫁入り持参金を稼ぐというのがあったという。
この例と似ているかどうかはともかく、ある日リディアの王カンダウレスは自分の妻の美しさを護衛の一人であったギュゲスに自慢しており、ギュゲスに王と女王の寝室でこっそり女王の裸を見ることを強制した。女王は寝室から忍び足で出ていくギュゲスに気づき、裸を見られた女王は次の日にギュゲスに「カンダウレスを殺して王となるか、今すぐ処刑されるか」の選択を迫った。もちろん王となることを選んだギュゲスは新しい王朝を創設し(紀元前690年)、この王朝はクロエソスの代までつづいた。
サルディスは近郊の山から流れ下ってくる金のため、当時大変裕福な国家として繁栄した。伝説によると、これは触れるものが何でも金に変わってしまうフィリギア王国のミダス王のおかげ。困ったミダス王がパクトルス川で手を洗うとこの魔法は解け、かわりに川は黄金であふれたと言う。サルディスにもこの川は流れており、リディアはクロエソスの時代(紀元前563年-546年)に世界で初めて貨幣を鋳造した王朝となった。
リディアは最盛期を迎えていたものの、クロエソスは東方のキュロス大王率いるペルシア帝国の脅威が気になっていた。デルフォイにペルシア帝国に侵攻すべきか否かを問うたところ、「リディアがペルシアを攻撃すれば大帝国は滅びるだろう」との神託が下った。「大帝国」をペルシアのことだと勘違いしたクロエソスはペルシアを攻撃したが敗北、リディアの大帝国は滅びてしまった。この際クロエソスは火あぶりで処刑されたと言われているが、歴史家ヘロドトスによるとその後賢明さをキュロス大王にかわれたクロエソスは助言者としてキュロスに仕えたという。
ペルシア領土となったサルディスは、紀元前499年のイオニア反乱の際略奪されてしまったが、紀元前333年にアレキサンダー大王によって都市は再建された。17年に地震で都市が破壊されると、今度はマニサとともにサルディスを征服したローマ人の手によって復興され、サルディスは新約聖書のヨハネの黙示録に登場する「7つの教会」の一つとなった。
ビザンツ時代後期になると、トゥルク族のベイリック(首長)のひとつであったサルハンがマニサを首都とし、サルディスをも征服した。1401年にはティムールの攻撃を受け、再復興できぬほど破壊された。
近年アメリカの考古学者により発掘・修復作業が行われ、なかにはほぼ完全な形で再現された遺跡もある。
アラシェヒル
サルディスやサーヒルリから簡単に行くことができる町・アラシェヒルはペルガモン王国のユメネス2世によって建設された。ユメネス2世は弟であり後継者であったアッタロス2世にこの町を捧げ、「兄弟を愛する者」の意であるフィラデルフィアと名づけた。ペルガモン王国の最後の王・アッタロス3世が死去すると、フィラデルフィアを含む旧ペルガモン王国領はローマの属州となった。フィラデルフィアは初期キリスト教時代の重要都市であり、黙示録の7つの教会のうちのひとつもここにあった。
1390年にベヤズィット1世によりオスマン帝国の領土となるが、ヨハネ騎士団の影響下にあったアラシェヒルはその後もしばらく中立国家となる。12年後にはティムールが侵攻、町は陥落した。
外国人観光客はおもに「7つの教会ツアー」などでアラシェヒルを訪れるが、現在その教会跡と思われるのは聖ヨハネ教会。火曜日になると教会付近は野外マーケットで賑やかになる。その他にもローマ時代のオデオンやビザンツの城塞跡などがある。