ローマ帝国時代に「最初のピシディア都市」として知られていたが、すでにヘレニズム時代にピシディア地方の主要都市であった。トロス山に西側にあり、この地域は現在トルコの湖地域として知られている。
サガラソスでは6世紀初期の地震で大打撃を受けた後も市民は定住を続けたが、7世紀に再び大地震が起こると都市はついに廃墟となった。1990年に大規模な発掘作業が行われ、これまでにヘレニズム、ローマ、ビザンツ時代の遺跡群が掘り起こされた。
サガラソスの歴史
サガラソスの定住は期限船8000年ごろに始まったと推測されている。紀元前14世紀のヒッタイトの文献にサラワサの名で登場する。フィリギア文明とリディア文明の影響を受けながら発展した。サガラソスはピシディア地方の一部であり、ペルシア帝国時代には「好戦的な人々」として知られていた。アレキサンダー大王がサガラソスを紀元前333年に征服したとき、サガラソスはピシディアで最も裕福な都市であった。アレキサンダー大王の死後、彼の後継者の一人であったアンティゴヌス、セレウコス朝シリア、アッタロス朝ペルガモン王国の順に支配された。都市へのヘレニズム文化の浸透も進んでいたという。
ペルガモン王国の滅亡後、ローマ帝国はピシディア地方をローマ領域に加え、一時ガラティアの王アミンタスによって支配される以外(紀元前39-25年)、サガラソスは長い間ローマ帝国の支配を受け、またピシディアの重要な中心地となった。
400年ごろに都市は要塞化されたが、518年の大地震と541-543年の疫病で都市の人口は半減した。7世紀のアラブ人の侵入と大地震によって、市民はほかの都市へと移住せざるを得なくなり、サガラソスは歴史から姿を消した。18世紀や19世紀にも西洋の旅行家などがこの地を訪れたものの、考古学者の関心を呼んだのは1985年になってからである。