ゴーディオン(Gordion)

ゴーディオンはフィリギア王国の首都であり、西部アナトリアでも重要な遺跡である。アンカラの西約90キロに位置し、一番近い町はポラトル。ここからヤッスヒュユックという村までドルムシュで行った後、タクシーまたは徒歩でゴーディオン遺跡へ行くことができる。

ゴーディオンの歴史
青銅器時代に定住が始まり、ヒッタイト時代に都市は拡大した。紀元前9世紀にはフィリギア人がこの地に住むようになり、約100年後にはフィリギア王ゴーディオスによって建国されたフィリギア王国の首都となった。肥沃な土地と東西を結ぶ重要な貿易ルート上に位置したため、フィリギア王国は繁栄したが、キンメリア人の侵入などによって都市は次第に衰退していった。紀元前650年にはリディア人によって征服され、その後はペルシア人領地となった。紀元前333年にアレキサンダー大王は東征の際、ゴーディオンで冬をすごしたといわれている。紀元前278年のガラティア人の小アジア侵攻により、ゴーディオンは確実に衰退し、住民はほかの町へと移住していった。

アクロポリス
紀元前8世紀に建てられたアクロポリスは、王の宮殿や神殿など重要機関の中心地だった。フィリギア王国時代の都市門はアクロポリスの南東にいまだに残っている。先端が欠けているにもかかわらず、その高さは10メートル以上で、当時かなり壮大な外観を相していたに違いない。現在小アジアでも最大の先史時代の遺跡である。門の両側には2つの塔があり、ここから外敵を攻撃することができた。攻撃用に使っていた石が入っていたと思われる壷が右側の塔で発見されている。
アクロポリスの真ん中に立っていた宮殿は4つの大きなホールから成っていた。2番目のホールは印象的で、床は赤、青、白の幾何学模様のモザイクで装飾されており、現在もその跡が残っている。またここでは象牙がはめ込まれた木製の家具が燃えた状態で発見されており、おそらくここは宮殿の中央ホールだった。4番目のホールは女神・キベレに捧げられた神殿だと考えられている。
神殿の後方にはさらに8つの部屋があり、これは宮殿に仕えるものたちの部屋だった。

王族の墓
ヤッスヒュユックの東側には大きくてなぞめいたフィリギア王の古墳群が集中しているが、そのなかでも博物館の近くにある「ミダス古墳」は最も興味深い。ミダス古墳は紀元前750年ごろに埋葬されたフィリギア王の古墳で、トンネルをくぐって行くことができる。古墳は三角屋根でマツの木の丸太を使ってできていて、アナトリアでも最古の木造建築である。王の武器や装飾品は墓に埋まってないため、この王が誰なのかはわかっていない。
アクロポリスの南東にはキョチュック・ホユックと呼ばれる高い丘があるが、ここはかつてゴーディオンの要塞化された郊外だった。この要塞はペルシア王大キュロスがゴーディオンを通ってサルディスへと侵攻した際に破壊され、この丘にはこの戦いで戦死したゴーディオンの統治者の墓となった。

アンカラにある考古学博物館ほどのコレクションはないが、ゴーディオンにある博物館にはモザイクや墓で発掘された出土品が展示されている。博物館付近にはビュユック・ヒュユックという巨大な古墳がある。もともとは高さ80メートル、直径300メートルだったが、侵食により現在その高さは50メートルとなった。その規模からこの古墳はゴーディオス王またはミダス王のものと考えられていたが、出土品を調べた結果この古墳は紀元前750年から725年のものと推定され、ゴーディオス、ミダスのどちらにも当てはまらないことがわかっている。この墓からはまた60歳代の男性のものと思われる骸骨や木製テーブルや銅の留め金、178個の銅製の器などが出土した。


神話に登場するミダス王

フィリギア王にはミダスという名が多く見られる。これはフィリギア王国の創始者ゴーディオスの後継者と関連していると考えられる。ゴーディオスの時代に「牛車を引いた貧しい男がゴーディオンへと赴き、彼がフィリギアの王となる」との信託が下された。ゴーディオスと貴族たちがこの予言を討論しているところへ、ミダスという名の農民が牛車をひいてゴーディオンへとやってきた。これを見たゴーディオスはミダスを彼の後継者とし、ミダスは牛車をアクロポリスにあるキベレ神殿に置いた。そのうちにこの牛車をくびきにつないである結び目を解いたものはアジアの統治者となるという言い伝えがひろがり、これを聞いたアレキサンダー大王はこの結び目を剣で切り落とした(紀元前333年)。


ある日、ワインの神であるディオニュソスは彼の教師であり従事者であるシレーノスの姿が見当たらないことに気づく。シレーノスはいつものように飲んだくれ眠り込んでいるところを、ミダス王に発見されもてなされる。その後ミダスはディオニュソスのところへシレーノスを連れていき、これに対しディオニュソスはミダスの願い事をかなえてあげると約束した。ミダスの「私の手が触れたものは何でも金に変わってほしい」という願いはかなえられたが、本当にミダスが触れたものは何でも金に変わり、彼の娘までもが金になってしまった。やっかいなことに食べ物も金に変わるため何も食べられなくなり、ディオニュソスに願い事を撤回することを申し出ると、ディオニュソスはパクトルス川(現在のサルト川、サルディス付近に位置する)で手を洗うように言った。ミダスがこの川で手を洗うと川は黄金に変わり、ミダスのまじないは解けたという。実際に現在のサルト川は金箔を含んでいることで有名である。

もうひとつの有名な話は「王様の耳はロバの耳」で、これもミダス王が主人公である。ある日ミダスは自身の富と権力にうんざりし、牧羊の神であるパンへと仕え始める。パンは竪琴の神であるアポロンを音楽で競い合うことになり、ミダス王も審査員の一人として立ち会った。パンの笛演奏はつまらないものだったがミダスは気に入り、ほかの審査員が皆アポロンに軍配を上げたのにもかかわらず、ミダスはパンの演奏が優れているとした。アポロンはこれに怒り、ミダスの耳をロバの耳にした。
ミダスのロバの耳は彼の髪を切りに来る理髪師以外に知るものはいなかった。理髪師は誰かにこの秘密を伝えたいものの、極刑を恐れて誰にも言えずにいた。そこで草地に行き、穴を掘って「王様の耳はロバの耳!」と叫び、穴を埋め立てた。ところが地面から葦が飛び出し、「大さまの耳はロバの耳!」とささやきだしたため、このうわさは町中に広がった。ミダス王はこの理髪師を殺そうと考えたが、思いとどまった。この寛容さに対しアポロンは、ミダスの耳を元に戻したという。


フィリギア王国の最後の王の名もまたミダスであった。彼はアッシリアの文献で「ムシュキのミタス」の名で登場する。ミダスの時代にフィリギア王国はアッシリア王国に敗北し、このため貢物を送らなければならなくなった。彼は紀元前725年から696年の間フィリギアを統治したと考えられており、また古代の歴史化ヘロドトスは最後の王ミダスが王冠をデルフィの神殿に捧げたことや、イオニアの王の娘と結婚したことなどを記述している。

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