トルコのなかでも最も保守的な町といわれるコンヤは、かつてセルジューク朝の首都であったとともに、イスラーム神秘主義(スーフィズム)の重要な巡礼地。メヴレヴィー派の創始者でありイスラーム哲学・思想にも多大な影響を与えたメヴラーナ・ジェラーレッディン・ルーミィーは故郷ホラサーン地方からコンヤへと定住し、彼の霊廟は現在メヴラーナ博物館として公開されている。デルヴィーシュ(イスラーム神秘主義僧)によるセマー(イスラーム神秘主義の回転舞踊)は、毎年12月コンヤで催される「メヴラーナ週」で鑑賞することができる。
コンヤの歴史
コンヤの定住は紀元前7000年に始まり、その中心は現在のアラアッディンの丘である。その後ヒッタイト人、フリギア人、ローマ人、ギリシャ人の順で定住が進んだ。聖パウロと聖バルバナはアンティオケイア(現在のアンタキヤ)から追放された後、コンヤでもキリスト教布教活動を行った。235年には初期のキリスト教公会議がイコニウム(コンヤのビザンツ名)で執り行われた。
コンヤはその後ルーム・セルジューク朝の首都となった。セルジューク朝がマラズギルトの戦い(1071年)でビザンツ帝国に勝利すると、彼らはさらにイスタンブル方面へと向かい、イズニックを首都にしようともくろんだが、十字軍に後押しされたビザンツ軍に追い返された。それでもセルジューク朝は14世紀初期までコンヤを含める中央アナトリアから東アナトリアのほとんどを支配していた。
もともと遊牧民であったセルジューク族にとって固定した首都というのは当初慣れない考えであったが、マラズギルドの戦いの勝利者であったアルプアスランの後継者・スレイマン・イブン・クトゥルムズの代からコンヤは歴代セルジューク朝君主の居住地となった。13世紀初期の君主アラアッディン・ケイクバードの時代にはコンヤは学問と芸術の中心地となり、最盛期を迎えた。この時代に建てられたモスクなどは今でもコンヤ市内で見かけることができる。
コンヤの見どころ
メヴラーナ博物館
ターコイズ・ブルーの尖がり帽子のようなドームが目印。コンヤ市内のメイン通りであるメヴラーナ通りの東端にあり、すぐに見つけることができる。
この地はセルジューク朝スルタンがメヴラーナの父、バハーエッディン・ヴェレドに贈ったものと考えられている。バハーエッディン・ヴェレドも1232年にこの場所に埋葬された。伝承によると、メヴラーナが1273年にヴェレドの墓の隣に埋葬されたとき、ヴェレドの墓は次第に立ち上がったという。本当かどうかはわからないが、これは父でさえも偉大な思想家・メヴラーナに対し敬意を示していたことを表している。トルコでは今も父が部屋に入ったときなど息子は敬意のしるしとして立ち上がるのが普通である。
メヴラーナの死後、彼の弟子であったチェレビー達(チェレビーは高潔の意)によってヴェレドとメヴラーナの霊廟と教団所は増築され、1925年にアタテュルクが神秘主義教団の活動を禁止するまで神秘主義の教義や瞑想、セマーの場所となった。
現在博物館として公開されている建物のほとんどは15世紀後半から16世紀初期にかけてベヤズィット2世とセリム1世によって建設された。入場口の前にはシャドゥルヴァンと呼ばれる噴水があるが、これは宗教儀式の際に使われる清浄水。中庭の東と南側には独房が並んでおり、ここではデルヴィーシュ(イスラーム神秘主義僧)が礼拝、瞑想していた。博物館内ではこれらの様子を表すためにろう人形が置かれている。教団に入りたての見習い修行僧は、独房を使うことができるようになるためにまず1001日間教団の台所で働かなければならなかった。修行が終わると、修行僧は教団の一員であり続けると同時に、社会へと戻り結婚もすることが許されていた。
シェイフの部屋は現在博物館の事務室となっており、その隣にはメヴレヴィーやイスラーム神秘主義に関する5千冊もの書物が所蔵されている図書館がある。
中庭を横切って博物館内に入ると、そこにはメヴラーナとヴェレドのほかにも教団の著名な修行僧の霊廟がある。博物館に入る際には靴を脱ぎ、女性はスカーフで髪を隠さなければならない。またショートパンツを着用している人は男女問わず長いスカートのようなものを入口で借してくれる。とはいえ、ここを巡礼目的で訪れるムスリムに対する礼儀として、露出度の高い服は避けるべきだろう。
巡礼者の中にはメヴラーナの霊廟の前で感動して泣き出す人もいる。一方、非ムスリムである観光客も歓迎されている。メヴラーナの有名な言葉のなかには次のようなものもある:
来たれ、来たれ 誰であろうと来るがよい
たとえ拝火教徒、偶像崇拝者、多神教徒であったとしても
ここは絶望の場所ではない
セマーハーネ
博物館に隣接している部屋はセマーハーネと呼ばれるイスラーム神秘主義の回転舞踊が行われる場所。展示品の中にはデルヴィーシュが実際に使っていたネイなどの楽器がある。見習い修行僧はネイを買うことができず、先生によって与えられるという習慣がある。
ほかの展示物の中にはメスネヴィーの原本や、スルタンたちがメヴラーナ自身に贈った絨毯などがある。そのなかには1平方センチのなかに144もの結び目がある非常にきめ細かいシルク絨毯もある。
セマーハーネの2階にあるギャラリーは女性用で、メヴラーナの死後取り付けられた。天井からぶら下がっている重そうな鎖つきの玉は一つの塊の大理石から彫られたもの。隣の部屋には預言者ムハンマドの髭が入っている小箱などが展示されている。
アラアッディンの丘
アラアッディンの丘はメヴラーナ通りの西端にある。この丘からは紀元前7000年の出土品などが掘り出されたが、そのほとんどは現在アンカラの博物館が所蔵している。セルジューク朝の宮殿跡が少しだけ丘のふもとに残っているほか、チャイを飲みながら一服できるチャイハーネなどがある。
丘の上にはアラアッディン・ジャーミィがある。このモスクはメスット1世によって1130年に建築着工され、アラアッディン・ケイクバードにより1221年に完成された。長い年月をかけて完成したためか、モスクの外観は不規則な形をしている。内部は典型的なセルジューク朝建築スタイルで、平らな天井を42のローマ時代の円柱が支えており、小さなドーム屋根の下にはミフラーブがある。1155年にできた美しい木彫りのミンベルもセルジューク朝芸術の最古の例である。ここではセルジューク朝のスルタンたちの絨毯などが発見され、その一部はメヴラーナ博物館に、ほかのアルプアスランやアラアッディン・ケイクバードの絨毯はモスク内部の別ホールにある霊廟に納められている。
カラタイ博物館
1251年に建てられたイスラーム修道院。現在は博物館として公開されており、おもに陶芸品が展示されているが、展示品よりも建物自体のほうが面白いかもしれない。表門はアラブの石細工とギリシャのコリント式円柱が使われているが、同時にとがった石灰岩で覆われており典型的なセルジューク朝の建築様式を保っている。この表門はインジェ・ミナーレ博物館の表門とともにコンヤにあるセルジューク石工術の優れた作品である。
修道院内部にある星のドームは、相称的にタイルが飾られており天国を表現している。シンプルかつ繊細なタイルが生み出すモザイクは、イズニックやキュタフヤのタイルとは一味違う洗練さが感じられる。
インジェ・ミナーレ博物館
アラアッディンの丘の西側にある。カラタイ博物館と同じくかつての修道院が博物館となり、古い石碑や木彫りの作品などが展示されている。この展示品のほとんどはアラアッディンの丘にあるセルジューク宮殿跡から発掘されたもの。明らかにビザンツ帝国の影響を受けたと思われるセルジューク朝のレリーフや、天使、2つの頭を持った鷹などのレリーフがある。この鷹は現在コンヤの公式ロゴとなっている。
コンヤ郊外の見どころ
シルレ
コンヤの北西8キロにある。コンヤ市民が好んでピクニックに行く村で、中世の雰囲気をかもし出しているビザンツ教会や古い橋などがある。教会の内部装飾は19世紀のもので、1923年にトルコ共和国が建国するまで使用されていたと考えられる。周辺の崖から下を見下ろすとそこには何件か隠れ家がある。
チャタルホユック
1958年にイギリス人考古学者ジェイムズ・メラートによって発見された世界最古の遺跡の一つ。全部で13の地層が発見され、紀元前6800年から紀元前5500年のあいだに定住されていたと考えられている。調査の結果ここの家々の間には道はなくぴったりと引っ付いていて、人々は家に屋根にあいた穴から入っていたことがわかった。遺跡は2つの平たい丘から成っており、その形からチャタルホユック(フォークの古墳)と呼ばれるようになった。出土品のなかには世界最古の風景画があり、火山の噴火(おそらくハサン山)が描かれている。壁画のなかにはハゲワシに食べられている男の絵などがある。
出土品の中で最も知られているのは地母神像であり、大きな乳房と幅広い腰を持ち出産している姿がほとんどである。この地母神はフリギア人の女神キベレ(女神アルテミスの前身)と深い関わりがあるとされている。チャタルホユックの貴重な出土品のほとんどは、現在アンカラのアナトリア文明博物館で所蔵されている。
コンヤからチャタルホユックへはチュムラ行きのドルムシュに乗り、そこから約10キロの道のりをタクシーで行くことができる。
ビンビルキリセ
ビンビルキリセとは「1001の教会」の意味。実際にかなりの数の教会が点在しており、そのほとんどは9世紀から11世紀にかけて建てられた。当時迫害を受けたキリスト教徒の隠れ家だった。