カルスはロシアのベル・エポック時代の建物が点在する、一見陰気な町である。気候もエルズルムに劣らず厳しく、しょっちゅう雨が降っては道路は泥沼状態になる。市内にはいくつかの見どころがあるが、観光客はアルメニア遺跡であるアニ遺跡を目的にカルスを訪れる。
カルスの歴史
カルスはもともとアルメニア人によって建設され、10世紀にはアルメニア王国バグラティド朝の首都となった。当時のカルス城は現在もカルス市内に残されている。その後王朝の首都はアニへと移され、カルスの重要性は失われた。11世紀半ばにはセルジューク朝がこの地方を支配するようになったが、モンゴル軍の侵攻によりその統治は中断されてしまった。1205年にはビザンツ帝国とセルジューク朝の衰退を機にグルジア王国がカルスを占領し、その後オスマン朝が16世紀に領土に加えるまで約300年間支配した。
19世紀にロシア帝国はカルス占領を繰り返し試みた。1828年と1855年のロシアのカルス包囲は成功した。1855年はイギリス・トルコ同盟軍の5ヶ月に渡るロシア軍との戦争の結果、食糧不足でついにカルス城をロシアに明け渡したクリミア戦争だった。どちらの包囲もその後の協定でカルスはトルコ側に譲られたが、1878年の露土戦争の際は8ヶ月にわたる激戦の後、カルスはついにロシア帝国領土となった。1920年には再びトルコ領となり、カルスに残っているロシア風の建物はこの時代に建てられたものである。
現在もカルスは重要なトルコ軍の駐屯地であり、多くの兵隊が市内で見かけられる。
カルスの見どころは新市街から北に離れたカルス城周辺に集中している。
聖使徒の教会は930年から937年の間にアルメニア王アッバース1世によって建設された。ドームの12のアーチには12のキリスト教の使徒のレリーフがそれぞれ施されている。カルスがムスリムによって支配された時代はモスクとして使われており、ロシア帝国時代には修復された。一時博物館としても使用されていたが、現在は貯蔵庫と化してしまっている。
カルス城付近には1580年代にムラト3世によって修築された石橋がある。聖使徒の教会と同じく火山石でできている。
またこの地域には3つのハマムがあり、そのうちイルベイオール・ハマムとトプチュオール・ハマムは現在も使用されている。廃墟となっているのはマズルートアー・ハマムのみ。どのハマムも18世紀以降にできた比較的新しいハマムである。
現在のカルス城が位置する丘には約2000年もの間、アルメニア・ビザンツ式の城塞が立ち、カルス川を見下ろしていた。セルジューク朝はこの城塞を維持していたものの、モンゴル軍によって破壊され、その後オスマン帝国は16世紀にカルス城を修築した。ロシア軍との戦いにより再び城は破壊され、ようやく20世紀に再修築された。現在公園として公開されており、地元の人々は城内にある聖者ジェラル・ババの墓を訪問する。ここからはカルス市内を一望することができるが、それ以外は特に見るべきものは無い。
カルス中心地から15分ほど東に歩いたところにはカルス博物館がある。展示品の中にはバター攪乳器やゆりかごなどの面白い展示物が民族誌学セクションに展示されている。またロシア・アルメニア時代の教会の鐘や聖堂の木造扉などもある。博物館の帰り道にジュムフリエット通りを通ってかつてのロシア教会のなかにあるフェティエ・ジャーミィを訪れるのもよい。
アニ遺跡
アルメニア王国バグラティド朝の首都であったアニ遺跡は、アルメニア国境沿いにあり、アルパ川(アルメニア語でアフルヤン川)が両国の境となっている。遺跡の中には瓦礫と化したものもあるが、当時の宗教・軍事建築として優れた建物も多く残されている。アルメニア人の石工技術は有名で、北側の要塞と教会群に使われている赤茶けた砂岩と濃色の火山岩の組み合わせは大変優美である。
アニ遺跡はカルスの南東約43キロに位置し、そばにはオジャクルという村がある。カルスからオジャクルへはドルムシュが一日2本あるが、帰りのドルムシュを考えるとアニ遺跡見学にはあまり適していない。一番いいのはカルスからのタクシーツアーを利用することで、運転手がガイドとして遺跡内を一緒に回ってくれるオプションもあるが、ガイド料はエキストラ。ガイド無しで自力で遺跡内を回るとしても、2時間半ほどかかると考えたほうがよい。
アルメニア国境のそばに位置するため、アニ遺跡を見学するには前もって許可が要る。ツーリストオフィスが配布しているフォームを書き込み、警察署に提出する。その後カルス博物館でアニ遺跡のチケットが購入できる仕組みとなっている。アニ遺跡ではチケットは販売されていないので要注意。
真夏の遺跡見学はかなり暑くなるので、帽子や日焼け止めクリームなどを持参したほうがよい。
アニ遺跡の歴史
キリスト教が広まる以前に、アニ遺跡内の城を中心に定住が始まっていた。アニとはおそらくペルシアの水の女神でありアルメニアの多神教の神のひとつであったアナヒトから派生していると考えられている。
5世紀にアルメニア人部族ガムサルカンの統治とともにアニは歴史に登場する。アニは東西交易ルートの通過点として繁栄し、バグラティド朝5代目の王・アショト3世は961年に王国の首都をカルスからアニへと移し、スムバト2世、ガジク1世と王権は受け継がれ、この頃王国は黄金時代を迎えた。人口は十万人を超え、アニはバグダードとコンスタンティノープルと並ぶ大都市となった。
11世紀半ばになると、引き続き起こる戦争とビザンツ帝国との不和などが原因で、1045年にアニはビザンツ帝国に併合されてしまった。その後まもなくセルジューク朝が1064年にアニを征服したが、セルジューク朝が衰退すると当時の強国・グルジア王国の援助を受けアニでは再びアルメニア人の統治が始まった。パフラヴニとザカリヤド部族は半独立状態のアルメニアを統治し、この統治は約200年続いた。この時代にもアニでは教会や修道院が建設され続けたが、その後13世紀のモンゴル族の侵攻や1319年の大地震などにより、次第にアニは衰退の一途をたどり、ついに廃墟となった。
アニ遺跡内
セルジューク朝のライオンの彫刻がほどこされたアスラン・カプから遺跡内へ入ると、雑草が生い茂り荒涼とした高原が目の前に広がる。昔の街道であった道は主要な遺跡へと続いている。左へ続く道を500メートルほど行くと、1034年から1036年の間に建てられた救世主の教会がある。1957年の落雷で教会の半分は崩れ落ちてしまった。外壁には典型的なアルメニアの石彫り十字架(カチカル)がある。
さらに200メートルほど東へ進むと、アニ遺跡の中でも最も保存状態のよい啓蒙家・聖グレゴリウスの教会がある。聖グレゴリウスは4世紀初頭にアルメニアでキリスト教を布教した聖者で、彼に捧げられた教会はほかにも2つある。1215年にアルメニアの裕福な貴族商人によって建てられ、13世紀のグルジアの影響が色濃く反映されている。アルメニア教会ではなく、正教会の儀式がここで執り行われていた。外壁には動物などを描いた細かいレリーフがあり、南側の壁には典型的なアルメニア装飾である日時計がある。聖グレゴリウス教会内部のフレスコ画も有名で、アルメニア王トゥルダト3世による聖グレゴリウスの裁判や、聖グレゴリウスの拷問、キリストの生誕や受胎告知などが描かれている。フレスコ画の顔などはムスリムによって削り取られている。
聖グレゴリウス教会の南には女子修道院跡が、また西には大聖堂が残っている。大聖堂を建築したトゥルダト・メンデトは地震で損害を受けたコンスタンティノープルのアヤソフィアを修築しており、名の知れた建築家だったが、この大聖堂は驚くほど質素なつくりである。
大聖堂の西側にはメニュチェヒル・ジャーミィと呼ばれるアナトリアで最初に建てられたセルジューク朝のモスクがある。ミフラブ(メッカの方向を示すもの)は無いが、赤と黒の石細工や天井のモザイクなどが美しい。ここからアルメニア国境を流れるアルパ川の眺めはよく、かつて国境を繋いでいた石橋も見える。先が切れているモスクの尖塔からの眺めはもっとよいはずだが、かつて観光客がこの尖塔から自殺を図ったため、尖塔に登るのは禁止されている。
モスクの南には城塞や教会などがあるが、ここは立ち入り禁止ゾーン。北へと伸びる道をたどると第2の聖グレゴリウス教会がある。救世主の教会と同じ建築家によって1040年に建てられた。近くには11世紀の聖使徒の教会があり、別名カラヴァンサライ(隊商宿)とも呼ばれる。現在この教会は廃墟となり、かなり傷んでいる。
道は3番目の聖グレゴリウス教会へ続く。998年に建築家トゥルダトによって設計された。この教会は中世アルメニア最大の教会となるはずだったが、完成後すぐに崩れ落ちてしまった。現在外壁と巨大な柱のみが残っている。
アスラン・カプへ戻る前に、左側に見えるセルジューク朝時代の宮殿跡も訪れたい。アニ遺跡内で唯一の純粋なイスラーム建築物である。