カッパドキア(Cappadocia)

自然現象が生んだ広大なランドスケープ・・・カッパドキアはトルコのなかでも是非訪れたい中央アナトリアの不思議の国。

約3000万年前にカッパドキアの周辺にある3つの火山(エルジエス、ハサン、メレンディズ)が爆発、ユルギュップ高原は火山灰や泥に覆われた。火山灰は時がたつにつれ柔らかい凝灰岩となり、侵食を重ねるうちにぺリバジャラル(妖精の煙突)と呼ばれる奇岩群や様々な形をした谷が形成された。
カッパドキアの見どころを網羅しそのスケールを感じるためにも、最低2日の滞在が必要。


カッパドキアの歴史

初期青銅器時代、カッパドキアはハットゥーシャシュを首都とするハッティ人の領域だった。紀元前2000年ごろ西ヨーロッパからアナトリアへ移住してきたインド・ヨーロッパ語族のヒッタイト人の文化や言語はカッパドキアのハッティ人と混ざり合い、当時にしてはかなり進んだ立法制度が成立した。罪人への拷問や家族内の結婚は禁止され、またヒッタイトの王も絶対君主ではなく市民とほぼ同等であった。
紀元前1200年頃にヒッタイトが滅亡すると、西はリディア王国とフリギア王国、東はウラルトゥ王国に挟まれ、カッパドキアはこれらの王国によってかわりがわり支配されていた。紀元前6世紀半ばにリディア王のクロイソスがペルシアのキュロス大王によって打倒され、リディアが滅亡するとカッパドキアのペルシア人支配が始まった。
紀元前333年にアレキサンダー大王がカッパドキアへ到来すると、この地のペルシア人支配が終わり、カッパドキア王国は独立した。1世紀にカエサリア(現在のカイセリ)を首都としたローマの属州となったあとも、半独立状態を保った。東西交易の通過点であり、ローマ帝国もこの地域へあまり干渉しなかったため、キリスト教をはじめとする多くの宗教や哲学がカッパドキアで広まった。アラブ軍の侵攻に対してキリスト教徒は丘に逃げ込み、ここで洞窟式の住居や教会、修道院などをつくって暮らしていた。
11世紀にカッパドキアはセルジューク朝の支配下に入るが、セルジューク朝は貿易ルート上としてのカッパドキアに興味を持っており、付近に隊商宿(ケルヴァンサライ)を建て、現地の住民ともいい関係を保っていた。
13世紀にセルジューク朝がモンゴル族に敗北すると、カッパドキアはコンヤを首都とするカラマン朝に支配され、14世紀にはオスマン朝領土となった。
トルコ共和国が成立してまもなく、トルコ・ギリシャ間の住民交換が始まると、ギリシャ人キリスト教徒はカッパドキアを去った。

 

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