カイセリ(Kayseri)

カイセリはユルギュップ周辺よりも前に観光地化され、カッパドキア観光のホテルが最初に建てられた都市だった。カイセリは保守的であると同時に、商売面で優れている人たちが多いことでも有名。カッパドキア観光の中心地がカイセリからギョレメやユルギュップに移った後も、カイセリの経済は揺るぐことはなかった。現在もトルコで重要な産業都市である。

カイセリ周辺にはスルタンサズルウ野鳥保護地区や夏はピクニック、冬はスキーが楽しめるエルジエス山がある。

カイセリの古代文明は紀元前4000年までさかのぼる。カイセリから約21キロ東にあるキュルテペ遺跡は青銅器時代の遺跡である。この遺跡は初期ヒッタイト時代に2つのパートに分かれていた。一つはカネシュ王国の首都・カネシュで、当時アナトリアで最も勢力を誇っていた王国だと考えられている。もうひとつはカルムというアッシリアの商人によって形成されたバザールで、世界最古のバザールである。

カイセリの歴史
カイセリはフリギア王国の時代にマザカの名で栄えた。紀元後17年から18年にかけてローマ皇帝ティベリウスにちなんでカエサレアと改名され、カッパドキア州の首都となった。エデッサ(現在のウルファ)の戦いの後ペルシア人に一時占領されたものの、再びローマ帝国領となった。ビザンツ帝国時代にカエサレアは古代アクロポリスの2キロ北にある、聖バシルによって建てられた教会や修道院があるところに移された。この場所は商業や防衛の面で有利であり、新しいカエサレアは文化・芸術の中心地となった。7・8世紀のアラブ軍の侵略にカエサレアも苦しみ、1067年にはついにセルジューク朝君主クルチュ・アスラン2世の支配下に入り、カッパドキア、シワス、アマシアを領内に含むダニシュメンド首領国の首都となった。1097年には十字軍が、1243年にはモンゴル族が一時カイセリを占領した。1397年にオスマン朝君主ベヤジット1世によって支配されたものの、ベヤジット1世がアンカラの戦いでティムールに敗れるとカラマン朝、マムルーク朝とカイセリの支配者は変わっていった。1515年、ヤヴズセリムの時代に再びオスマン帝国領となった。

カイセリにはセルジューク朝時代に建てられた美しいモスク、イスラーム修道院、ハマム、スープ店などを含む複合施設が残っていて、現在も使用されている。また3つの屋内バザールがあり、そのうちベデステンは1497年に建てられ、もともと布地商人のバザールだっ絨毯が売られている。1727年にダーマート・イブラーヒムパシャによって建てられたヴェズィル・ハヌは綿や毛糸、革製品などの店がある。最後に一番大きい屋内バザールは1859年にカイセリ市民によって建設され、なかには500もの店舗が並んでいる。これらの店で買い物をする際、相手はカイセリ人であることを考えると、値切ることは絶対必要。
カイセリの真ん中には黒い火山岩でできた銃眼つきの要塞は、セルジューク朝君主ケイクバートによって1224年に建てられたもの。この要塞の場所にはもともと6世紀にビザンツ皇帝ユスティニアヌスが建てた要塞があったという。オスマン朝の時代になるとメフメト2世がこの要塞を修復し、彼はまたファーティヒ・ジャーミィを要塞内に建てた。
屋内バザール付近には13世紀前半、ダニシュメンド首領国の時代に建造されたウル・ジャーミィ(偉大なモスク)がある。中央ドームはモダンだが、木彫りの美しいミンベル(説教壇)は建設当時のもの。
カイセリは霊廟の都市としても知られているが、町を歩いていると本当に多くの霊廟を見かける。これらはキュムベットと呼ばれる2階建ての霊廟で、12世紀から14世紀の間に建てられたものである。エルジエス山への高速道路など、意外なところに顔を出すキュムベットはイランでも見られ、セルジューク朝トルコ人などが使っていたユルドと呼ばれる円錐状のテントをモデルにしていると思われる。

 


代表的なキュムベットはドネル・キュムベットで、1275年ごろにザフ・ジハン。ハートゥンのために建てられた。「ドネル」は回るという意味だが、なぜこのような名前が付いたのかは不明。2つの頭をもつ鷹とライオンが生命の木とともに描かれている。

カイセリの城塞の近くにあるフナト・ハートゥン・キュルリイェスィはセルジューク朝がアナトリアで最初に建てたイスラーム複合施設。モスク(1238年完成)とセルジューク建築の代表作ともいえる美しい修道院から構成されている。修道院には中庭と2つのエイヴァン(天井があり正面が開いている部屋)がある。

カイセリ考古学博物館はこの地方でも最も展示品が揃っている博物館。ヒッタイト時代の碑文や、スフィンクスの頭などが展示されているほか、キュルテペから出土した初期青銅器時代の地母神や、紀元前2000年の動物の形をしたアッシリアの水入れなどがある。またニーデのギョルルダーから発掘されたヒッタイトのライオン像、ヘレニズム・ローマ時代の装飾品なども見学できる。

15世紀のオスマン朝住宅を修築して民族誌学博物館となったギュルギュプオウル・エヴィも一見の価値がある。典型的なトルコの居間や、2階にある客室には美しい木彫り天井がある。カイセリ特有の絨毯やキリム、テントなども展示されている。


カイセリ郊外

エルジエス山
エルジエス山(標高3916メートル)へはカイセリから車で約30分で行けることができる。カイセリ市内からはデヴェリ行きのドルムシュがテキル・ヤイラス(標高2150メートル)まで通っている。テキル・ヤイラスにはカイセリ市が運営しているスキーロッジ「カヤックエヴィ」があり、夏もオープンしている(もちろん夏のほうが安い)。ほかにもスキーリゾートホテルなど高めのホテルが並んでいて、12月から5月まで混雑している。

スルタンサズルウ
カイセリとニーデの間に位置する野鳥保護地区。ここにはヤイ湖とチョル湖の2つの湖があり、その周辺は葦で覆われた大湿地帯となっている。湖は塩湖である一方湿地帯は淡水で、またステップであると同時に湿地であることから、スルタンサズルウを訪れる渡り鳥の種類は豊富である。フラミンゴ、ペリカン、コウノトリ、イヌワシ、サギ、ヘラサギなど、その種類は少なくとも250に達し、そのうち69はこの地域で繁殖するといわれている。
オヴァチフトリックには観察塔があり、水位が低すぎなければ鳥の観察にはちょうどいい場所である。またソイサルルに近い村でもバードウォッチングができる場所がある。


キュルテペ
カイセリの北東約22キロに位置するキュルテペは古代都市カネシュ遺跡で、アナトリア最古の文献が発見されたことで有名である。その近くにあるカルムは、アッシリア人がアナトリアとの貿易のためにたてた商業地である。入場は無料だが、遺跡の監視員が丁寧に案内してくれた場合チップを渡したほうがいいだろう。
出土品のほとんどはアンカラやカイセリで展示されている。

キュルテペの歴史
要塞都市カネシュは紀元前4000年からローマ時代まで常に定住されてきたが、その最盛期は紀元前2000年ごろ。カネシュのカルム(アッシリアの貿易中心地)はアナトリアでも特に重要で、布地や装飾品などを輸入する一方銀や銅製品などを輸入していた。紀元前1850年ごろと紀元前1190年ごろに2度の大火がおこったことが薄い灰の地層によってわかっている(キュルテペは灰の丘の意)。第一の大火後カルムは再建されたものの、紀元前1780年ごろ商人たちは商売物を捨て、急いでこの地を去っていった。ヒッタイト時代になると以前の重要性は失われたが、ローマ時代まで住民は住んでいた。

キュルテペ遺跡内には大宮殿やワルサナ王の宮殿が残っている。ここから約5分歩いたところにはカルムがあり、店舗、事務所、貯蔵所などがあった。これらの建物は石の土台の上に泥を積み重ねてできており、宮殿の建設と同じ技術が使われている。2階建ての家もあり、上の階は住居で下の階は作業所として使われており、輸入品・輸出品を記録するのに使っていた泥のタブレットも下の階にあるかまどで作られていた。死人は自分の家の下に貴重品とともに埋められ、現在も遺跡にはこれらの墓が残っている。アッシリア人と現地アナトリア人の関係は良好で、婚姻などもあったという。

 

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