人口2百万人を越える都市、イズミルはイスタンブル・アンカラに続くトルコ第3の都市。その古い歴史にも関わらず見どころは少ないが、ベルガマやエフェスへイスタンブルから空路で行く場合イズミルの空港がこれらの観光地の最寄空港となる。トルコで最も開放的な都市としても知られ、ちなみにイズミル出身の女性の美しさも有名。観光客として町を歩いていてもじろじろ見られたりなどすることはめったになく、買い物なども比較的しやすい。
エーゲ海沿岸に位置するがビーチなどはなく、地元の人はイズミルから約90キロ離れたチェシメという町に泳ぎに行く。
イズミルの歴史
イズミルでの最初の定住は現在のバイラクル郊外にある丘・テペクレで始まり、少なくとも紀元前3千年紀にさかのぼる。紀元前9世紀、古代ギリシャの詩人・ホメロスもこの地で生まれ育ったというのは有力な説である。紀元前600年ごろ、リディア人の侵攻を受けると長い間衰退していたが、アレキサンダー大王が紀元前334年に到来すると復興が始まった。クラロスのアポロン神殿で下った神託により、パゴス山の平たい丘の上に都市を移すことを決定した(現在のカディフェカレ)。
アレキサンダー大王の死後も彼の将軍であったアンティゴノスとリュシマコスは新しい都市の建設計画を実行し、このころイズミルの古代名であるスミルナと名づけられた。スミルナとはパゴス山で活躍していたアマゾン族の女王であったサモルニアから派生したと考えられている。
ローマ帝国時代、頻繁に起こる地震にもかかわらず町は拡大した。キリスト教が布教され、スミルナに一番近いライバルであったエフェソスが衰退していくなか、スミルナは繁栄し続けた。スミルナ出身の主教であったポリカルプが殉教したのは、スミルナの教会が福音記者ヨハネによりアジアの7つの教会に名指しされてすぐのことである。
7世紀にアラブ軍の侵攻が始まると、混乱の時代がその後3世紀ほど続くことになる。11世紀にセルジューク朝がスミルナを占領すると、1097年にビザンツ帝国は再びスミルナを奪回した。その後もイズミル支配のため十字軍、ジェノヴァ人、ティムール、トルコ系首領などが争ったが、ついに1415年にメフメト1世によりスミルナはオスマン帝国領となり、この頃からイズミルと呼ばれるようになった。度重なるヴェネチア人の侵入もオスマン帝国は撃退し、ローマ時代以来の秩序と繁栄がイズミルに戻った。
当時イズミルの人口のほとんどはキリスト教徒で、おもにギリシャ正教徒から構成されていた。またアルメニア人、ラテン系、スペイン系ユダヤ人なども多く住んでおり、ムスリムは人口の4分の1ほどだった。イズミルはオスマン帝国のヨーロッパに開かれた国際都市であった。
第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北すると、イズミルとその周辺はギリシャの委任統治領となった。さらに領土拡大をもくろんだギリシャ側は、アナトリア内部に軍を進め、アタテュルク率いるトルコ国民解放軍と衝突、敗北を喫した。ギリシャ軍はエーゲ海に追いやられ、1922年9月9日、ついにイズミルは新生トルコの領土となった。イズミルの7割は焼け落ちてしまい、何千人もの非ムスリムが殺された。
イズミルは再建され、近代的な都市へと生まれ変わった。現在経済・産業中心都市であるイズミルでは、近年見本市やスポーツイベントなどが盛んに開かれている。特に観光地ではないものの、これらのイベントが重なる時期にはホテルは満室状態が続くので予約は早めにおさえたほうがよい。
コナック広場から海岸に沿って北へ向かうと、イズミルのもう一つの中心地・共和国広場がある。この付近にはNATOの支部やヒルトンホテルなどがある。さらに北へ向かうと、イズミルで最もポピュラーなアルサンジャク地区があり、海岸ではカフェや店舗が並び夜遅くまで開いている。この地区にはドイツやギリシャ領事館があるほか、かつてアタテュルクがイズミル訪問の際使用していた邸宅があり、現在博物館として公開されている。博物館の周辺は1922年の火事の影響をあまり受けなかったため、現在も18・19世紀の古い邸宅が残っている。ほとんどは当時イズミルに住んでいたヨーロッパの商人の住宅で、この一帯はプンタと呼ばれていた。
アルサンジャクからイズミルの最も古い地区・カディフェカレへ行くにはキュルトゥル・パルクを通過するのが近道。1922年に火事で焼失する前はこの付近はギリシャ人地区だった。公園内には見本市会場やチャイハーネなどが並んでおり、夏には小さなコンサートなどが催される。
イズミルのバザールはコナック広場の東にあるケメルアルトゥ地区やヒサルオニュ地区に広がっている。その中心はアナファルタラル通りで、衣料品や貴金属を取り扱っている店が並んでいる。またイズミルの有名な革製品はおもにフェヴズィパシャ通りに集中している。
トルコのほかの都市のバザールと比べて、イズミルのバザールは歴史的建物が非常に少ない。またかつてイズミルの住民のほとんどはイスラーム教徒でなかったことから、モスクやイスラーム修道院も比較的少ない。そんななかバザール付近にあるオスマン朝時代の隊商宿、クズラルアアス・ハヌはひときわ目立つ。1989年から1993年の間に修築され、現在内部には観光客目当ての絨毯屋が並んでいる。
アナファルタラル通りの南には、唯一のローマ遺跡であるアゴラがある。もともと2世紀初頭に建てられたが、現在残っているのは178年の地震のあとマルクス・アウレリウスの時代に再建築されたもの。アゴラの東側にはオスマン朝時代の墓石などが残っているが、その中でも保存状態がよいものは考古学博物館で展示されている。
アゴラからさらに南東へ進むとイズミルの城塞・カディフェカレがある。ヘレニズム時代に建てられたが、現在残っている城壁はビザンツ・オスマン帝国時代のもの。付近はトルコ語でチンゲネと呼ばれるジプシーの定住地で、やたらとお金を欲しがる子供たちに遭遇する。夏は夜遅くまでチャイハーネが開いている。
イズミル市内の景色は旧ユダヤ人地区にあるアサンソルから眺めることができる。アサンソルはエレベーターの意味で、丘の斜面に接している高さ50メートルの塔の中にある。この塔は1907年にニッサム・レヴィによって丘の上にある家々への近道として建てられた。
コナック広場からはイズミル郊外のカルシュヤカ(向こう岸の意)へフェリーが出ている。この地域はギリシャ・トルコ戦争前住民の7割がギリシャ系キリスト教徒だった。桟橋付近の公園にはカフェやレストランが並び、またカルシュヤカで有名なロクマ(揚げドーナツ)を食べる人々を見かける。この地域ではアタテュルクの母・ズベイデ・ハヌムの墓以外にこれといった歴史的見どころはないが、ちょっとしたエキスカーションにちょうどいい。