アンカラ(Ankara)

アンカラはトルコの首都でありながらもイスタンブルほどの見どころはなく、観光目的だったら1,2日の滞在で充分な都市である。かつてアンゴラと呼ばれ、その名の通り主にアンゴラウールやヤギのウールの生産で知られていた小さな町だったが、1923年のトルコ共和国成立後首都となり、急速に発展した。
アンカラの見どころとして、考古学博物館やアンカラ城などがあるが、イスタンブルとはちょっと違う「アナトリアの近代都市・アンカラ」を見てまわるのもいいだろう。

アンカラの歴史
アンカラは紀元前1200年頃にヒッタイト人によってアンクワシュの名で建設された。サルディスとヒッタイトの首都・ハットゥシャスを結ぶ「王の道」上にある重要な都市として繁栄した。ヒッタイトの後にはフィリギア人によってアンキラと呼ばれるようになり、リディア人、ペルシア人とその統治は受け継がれた。ペルシア帝国時代にもサルディスからスーサへとつながる王の道の
通過都市であり、その重要性は失われなかった。ペルシア帝国を滅ぼしたアレキサンダー大王の死後、ほかの小アジアの都市同様、アンカラも後継者争いの的となった。紀元前3世紀に一時ガラティア人の侵入を受け、アンカラはガラティアと改名された。
紀元前1世紀初頭にローマ帝国は中央アナトリアへと進軍し、ローマ将軍ポンペイウスは紀元前74年にこの地を支配していたポントス王国の王、ミトリダテスをアンカラの北東で破った。紀元前24年、アウグストゥス帝の時代にアンカラは正式にローマ帝国の一部となり、ギリシャ語でアウグストゥスを意味する「セバステ」と改名された。
ローマ時代にアンカラは重要な貿易通路として繁栄し、3世紀には人口は20万人の都市となった。ビザンツ時代になると度々アラブ人やペルシア人、十字軍などの侵攻を受けるようになり、衰退の一途をたどった。1071年にはマラズギルトの戦いでビザンツ帝国に勝利したセルジューク朝がアンカラを統治し始めた。この戦いはトルコ人が小アジアに定住し始めたことを示す、重要な出来事である。
1361年にアンカラはオスマン朝の領地となるが、1402年にオスマン朝の君主ベヤジット1世はアンカラ近郊でティムールに敗北し、捕虜となった。ティムールは3年後に死去したものの、この敗北はアンカラの発展を妨げることになり、アンカラ特産の毛織物以外に重要性は失われた。
1923年10月13日、アンカラはトルコ共和国の首都に決定された。当時アンカラは小さな田舎町に過ぎず、この決定に関してイスタンブルや外国政府からも反対の声があがったが、ドイツやオーストリアから近代都市設計のために技師などが招致され、次第にアンカラは近代的な都市へと変わっていった。現在、アンカラは人口4万人を超すれっきとしたトルコの首都である。

アンカラの見どころ

アンカラ考古学博物館
旧石器時代からアッシリア、ヒッタイト、フィリギア、ウラルトゥなど時代や文明別に出土品が展示されている。トルコにあるほかの考古学博物館の中でも先史時代の展示品においてコレクションが最も豊富だといえる。

アンカラ城(ヒサール)とその周辺
ビザンツ皇帝ミカエル3世(飲んだくれミカエルの名で有名)によって859年に建てられた要塞で、アンカラの最初の定住地。この要塞はその以前にもともとローマ皇帝ヘラクレイオスが建てた要塞を修復して建てられたものだった。アンカラ城の中にはオスマン朝時代の家々や観光客目当てのレストラン、カフェなどがあるが、アンカラ城にはまだきれいに修復されたとは言えない建物などが多くあり、多少寂れた雰囲気がある。
アンカラ城の北側にはアクカレ(白い要塞)があり、ここからアンカラ市街を一望できる。東側にあるシャルク・クレスィからは近代的アンカラとは対照的なゲジェコンドゥ(一夜でできた家屋の意味、許可なしに建てられた小屋)が集中している地区が見渡せる。南側には12世紀・セルジューク朝のアラアッディン・ジャーミィがある。
純粋なセルジューク朝建築のモスクであるアスランハーネ・ジャーミィはアンカラ城に近いところにある。24の木製の柱でできており、「森のモスク」とも呼ばれている。モスク内のクルミの木でできたミンベル(説教台)は1209年にできたもので、細かい彫刻が印象的である。このモスクを建設したアヒ・ゼラーファッティンはモスクの近くにあるアンカラで唯一のセルジューク朝霊廟に埋葬されている。
アスランハーネ・ジャーミィほど凝ってはいないが、13世紀後半のオスマン朝建築であるアヒ・エルヴァン・ジャーミィもこの付近にある。このモスクも木製であり、ミンベルも美しい。

アヌトカビル(アタテュルク霊廟)
トルコ建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルクが眠る霊廟。霊廟へと続く柱廊の入口には、「独立の塔」と「自由の塔」が左右にあり、この塔の中にはアヌトカビルの模型が建築段階の写真とともに展示されている。
霊廟の内部はいたってシンプル。ここへ入る際には帽子を脱がなければならないなど、ある程度の礼儀が要求される。アタテュルクの亡骸は1953年にここへ移送された。
中庭の反対側にはアタテュルクの腹心であり2代大統領であったイスメット・イノニュの墓がある。
アヌトカビル内部にはアタテュルク博物館もあり、ここではアタテュルク自身が着用していたイヴニング・スーツや杖の形をした銃など、面白い愛用品が展示されている。

アタクレ
アンカラの高級住宅地区チャンカヤにあるショッピングセンターにつながった展望台。ここからはアンカラ市街を隅々まで眺めることができる。ここのカフェはちょっと高めだが、それでもイスタンブルの物価に比べたら安いほう。

買い物や飲食
チャンカヤ、カヴァクルデレ、ガーズィオスマンパシャ地区には高級ブティックやおしゃれなカフェ・レストランなどが集中している。日本大使館も含め、大使館のほとんどはこの地域に位置する。南にあるクズライ地区はいつも賑やかで、手ごろな値段で軽食がとれる場所が多くある。バフチェリエヴレルやベシュエヴレル周辺にも学生が集まるかわいいカフェなどがある。

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