アランヤの初期の歴史についてはあまりよく知られていないが、ギリシャ植民によって建設され、カロノロス「美しい山」と名づけられたと考えられている。紀元前2世紀にキキリア人の海賊はアランヤをパンフィリア地方攻撃の基地として使い始めたが、紀元前67年にローマ帝国将軍ポンペイによって海賊は滅ぼされ、ローマ帝国領となった。紀元前44年には皇帝マルクス・アントニウスはクレオパトラにアランヤを贈与し、クレオパトラはこの地の森林を使って軍艦を作らせていた。
1221年にセルジューク朝の支配下に入ると、君主アラアッディン・ケイクバードは彼の名にちなんでこの地をアランヤと名づけ、夏の別荘地とした。現在アランヤに残された遺跡のほとんどは彼の時代に建てられたものである。
アランヤ城
アランヤの岬に建てられたアナトリア地方でも有数の城塞。おそらく城塞の基礎はヘレニズム時代に築かれ、増築を繰り返したと考えられている。セルジューク朝のスルタン(君主)、アラアッディン・ケイクバードの時代に大幅に改築された。
アランヤ城を取り囲む要塞の長さは6kmにも及び、内部には140もの監視塔があった。城へと続く大きな道にはペルシャ語の碑文が残っている。この道のそばにはエフメディエという村があり、オスマン朝時代の古い家が今も残っている。この村には16世紀のスレイマニエジャーミィや隊商宿、13世紀のアクセベ霊廟などもある。
アランヤ城内にはビザンツ時代の教会があり、内部には色あせたフレスコ画も見られる。城内の北西側には一段高くなっている場所があり、アランヤの美しいビーチが一望できるが、昔ここからは罪人が海に投げ込まれ処刑されていた。罪人はこの処刑所から海へと石を投げ込むことができた場合のみ処刑を免れたが、これはほぼ不可能だったと考えられる。
クズルクレ(赤い塔)
アラアッディン・ケイクバードによって1226年に建てられた35メートルの塔。セルジューク朝がアランヤで建てた最初の建物で、建築には古代遺跡の柱体なども使われた。はじめはアラアッディン・ケイクバードの塔と名づけられたが、そのレンガの色から単に「赤い塔」と呼ばれるようになった。
テルサーネ(造船所)
セルジューク朝はこの造船所を海軍基地としていた。
ダムラタシュ洞窟
アナトリアにある洞窟の中でも珍しい洞窟。1948年に発見された。古生代ぺルム紀の半結晶化したライムストーンが何千年もの間侵食され形成されたもの。内部には鍾乳石や石筍などが多くある。この洞窟内の空気は非アレルギー性のぜんそくに効くといわれているが、実際に内部の空気は通常の10から12倍の二酸化炭素を含み、湿度も90-100%と高く、また洞窟内の放射能やイオン化もぜんそくの回復の原因と考えられている。
アランヤ周辺の見どころ
スウェドラ遺跡・・・アランヤから約8km。紀元前3世紀に建設された古代遺跡。
アランヤ周辺のビーチ
インジェクムビーチ・・・アランヤからアンタリア方面に約30キロのところに位置するビーチリゾート。付近には多くのリゾートホテルがある。
ダムラタシュビーチ・・・クレオパトラビーチの近く。