あまり知られていない黒海地方のチャーミングな町。紀元前6世紀にミレトス人によって植民地化され、当時セサムスと呼ばれておりホメロスのイリアスにも登場する。アマスラの名はペルシア王国最後の王、ダリウス3世の姪であったアマシウスから派生している。アマシウスはまずアレキサンダー大王の部下であったクラテルスと結婚する予定だったが、結局ヘラクレア・ポンティカ(現在のカラデニズ・エレイリ)の暴君・ディオニシウスと結婚し、3人の子供をもうけた。夫の死後、今度はアレキサンダー大王の部下リュシマコスと結婚するがすぐに捨てられてしまい、再びヘラクレア・ポンティカへ戻るが、自分の息子たちに殺されてしまう。
110年にローマ帝国が小プリニウスをこの地方の特別総督に任命すると、それまでアマスラで続いていた不安定な混乱期は終わりを告げた。9世紀になるとビザンツ帝国はアマスラに駐屯軍を配置していたものの、外敵の攻撃を受け衰退し始めた。ビザンツ帝国が衰え始めた頃、ジェノヴァ人はアマスラを征服し、その支配はオスマン帝国が1460年にこの地を占領するまで続いた。
アマスラの見どころ
アマスラは岬とそれに石橋でつながっているボズテペ島から成っている。アマスラ・カレスィと呼ばれる都市城塞は岬とボズテペ島の両方にあるが、ボズテペ島のほうは大変保存状態がよい。岬にはまたジェノヴァ支配の時代に建設されたジェノヴァ・シャトース(ジェノヴァの要塞・内部要塞を意味するイチカレとも呼ばれる)があり、ここにはジェノヴァの紋章が残っている。
アマスラには2つのビザンツ時代の教会があるが、大きいほうはオスマン帝国の支配後モスクへと変えられた。小さい教会は1923年まで教会として使用されていた。
この町の博物館も一見の価値がある。主に現地で出土したローマ時代の作品などが展示されている。1995年に要塞付近で発見されたロムルスとレムスが刻まれたチュニックを着たローマ皇帝の像も展示品のひとつ。18世紀・19世紀の木彫芸術品は素晴らしく、この伝統がアマスラでほとんど消えてしまったのは残念。
アマスラの海岸は汚染されていて泳ぐのには不都合だが、もしクラゲをあまり見かけないのだったらアマスラの西にあるキュチュック・リマン(小さい港)で多少泳げる。