ベヤズィット1世によって1390年にイスタンブルのアジア側につくられた。コンスタンティノープルの陥落はベヤズィット1世にとっても最大の目的であったが、まず東方の宿敵ティムールと戦わなければならなかった。アンカラの戦いではベヤズィット1世自身も捕虜になるなど、ティムールとの戦い後のオスマン朝の回復など、あまりコンスタンティノープル陥落の計画が遅れる理由となった。
アナドルヒサールは当時ギュゼルジェ城とも呼ばれていた。17世紀と18世紀には、カザク軍の侵攻を防ぐ要塞として使われたが、次第にその重要性は失われた。